ウズベキスタン西部、ブハラ=ハン国の中心として栄えた町を散策してみました。
旧市街に入ると、ミナレットというイスラーム特有の塔がまず目に飛び込みます。
ブハラのミナレットは他のイスラーム圏ではちょっと見られないユニークなもの。というのも、普通ミナレットはモスクの敷地内に立っているのですが、ここでは独立しているのです。ミナレットがモスクに付属する前の、初期の形をありかたを今に伝えています。
ミナレットは日本語で「光塔」と訳すように、昔は塔の頂上で火が焚かれていました。したがって、この塔はお祈りの時間を伝える通報塔としてだけでなく、砂漠を横断する隊商たちに町の場所を知らせる、いわば「陸の灯台」の役目も果たしていたのです。
ミナレットの横に立つカラーン・モスク。
ソビエト時代は倉庫として使われていたためか、中はがらんどうとしていました。
ブハラ=ハンの居城だったアルク城。
ウズベキスタンではモスクなんかでも「入場料を払ったのに入ってみたら土産物屋しかなかった」なんてことがよくありますが、ここは一応小さな博物館があり、ブハラの歴史や自然を学べます。
もっとも、これは再建されたものでして、実際の様子は裏側に回ればよく分かります。城壁が崩れかけている!
お城の前は広場になっています。ここは昔、市場が開かれていたそう。
こちらはミル・アラブ・メドレセ。今も現役のイスラーム神学校です。
その大きさに圧倒されます。内部は非公開。
かつてのバザールにはお土産屋さんが軒を連ねます。オフシーズンだからあちこちで声をかけられて大変だった。
往年の雰囲気が残る道。
続いて郊外にあるブハラ=ハンの夏の離宮に足を伸ばします。
バザールの北側から9番バスに乗りスィトライ・マヒ・ホサ宮殿に行くと運転手に言うと、宮殿まで1kmほど離れた道ばたで下ろしてくれます。運賃は11円。
運転手に「韓国人?」と聞かれて、「日本人だ」と言うと
「ホンダ!トヨタ!日産!スズキ!」
「このバスは?」と聞くと
「いすゞ!日本車すばらしい!」
これいすゞのバスなの?相当使い古されている感があるが(笑)
離宮に到着。お城は1911年完成と割と新しめ。ロシアからも建築家を招いたそう。
中は手入れされていないようでボロボロ。ペンキがはがれてたりしている(笑)
イスラーム様式とヨーロッパの建築を融合させた感じが面白かったです。同時代の日本でも和洋折衷建築がはやっていたことを考えると、どこか親近感を感じます。
再び市内にもどります。
アルク城そばのボラハウズ・モスクはハン専用のモスクとして建てられました。
内部はなかなか豪華で、これは一見の価値あり。
すごい照明です。
イスマイール・サーマーニ廟はサーマン朝の王の墓。泥レンガだけでいろいろな模様が造られているのにびっくり。中央アジア最古のイスラーム建築です。
こちらは9世紀の建築で、近年まで土の中に埋もれていたというマゴキ・アッタリ・モスク。実際、地面より深いところにあります。
チョル・ミナルは門番小屋として建てられたそう。
この建物の上に昔、コウノトリが巣を作っていたそうですが今はありません。その代わり屋根にコウノトリの置物がのせられてます。
こんな感じで1日かけて1通り見所を見て回りました。1日あれば十分観光できます。ただ整備されている旧市街から一歩外に出ると工事現場と砂塵の世界。車はひっきりなしに通るのに横断歩道はなく、道路を渡るのは命がけ。ホテルを離れたところにとったので大変でした。もっともタシケント以上にソ連車だらけだったので、自分は始終興奮していましたが。
(前記事:ウズベキスタンの子供と英語で話す)
(次記事:シベリア抑留の日本人墓地へ)