下淡水渓鉄橋を訪ねて

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台湾旅行2日目。今日はバナナの一大産地として日治時代から栄えた旗山に向かいますが、その前に旗山と関わりの深い場所に行ってみたいと思います。


これから向かうのは高雄市の東部の九曲堂。この場所が旗山とどういうつながりがあるかは後にして、とりあえず下淡水渓鉄橋という鉄橋へ。


下淡水渓鉄橋は1913年の完成で、当時アジアで最長の長さを誇ったため「東洋一の橋」ともいわれました。現在は「台湾十大土木史蹟」に選ばれ、大切に保存されています。


この橋の設計・建設を指揮したのは日本人技師の飯田豊二。
ところが工事は荒れ狂う濁流や豪雨によって何度も挫折します。とうとう飯田豊二は疲労の蓄積から病に倒れてしまい、完成を目前に控えた1913年6月に亡くなってしまいます。


さっそく地下化された高雄駅から区間車(普通列車)に乗り込み、高雄市屏東市の境界近くの九曲堂駅へ。だいたい20分ぐらいで到着します。


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まず普通の観光客なら来ることのない駅ですかね。
こんな駅にも「i-PASSカード」の読み取り機があるので安心です。


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駅から線路に沿って屏東側に少し行ったところに飯田豊二の記念碑があります。
台湾でも彼の功績は広く知られ、豊二を称えるプレートもありました。


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そばには工員住宅と思われる建物が残っていました。台湾は治安がいいのですが、野犬だけはなんとかしてほしいですね…。ここででっかい犬に吠えられ、びくっとしました。


駅から鉄橋までは歩いて20分ぐらい。車の通りは激しいので少し大変ですが、人通りがないわけではないのでまあ安心です。


一応バスでも行けます。その場合は駅の東口(記念碑とは反対側)のバス停から旗山行きのバスに乗ることになりますが、本数が少ないので注意。


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いよいよ下淡水渓鉄橋が見えてきました。今は左側の新線に置き換わっているので使われていませんが、大切に保存されています。


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橋の入り口には蒋介石時代の軍の詰め所が残っていました。
やっぱり橋は重要な拠点なのですね。カザフスタンウズベキスタンの国境を鉄道で越えたとき、国境付近の橋がすごい警備だったのを思い出します。


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橋上を歩けるのですが、朝早すぎたためクローズ中。9時になれば開放されるそうなので、それまでぶらぶら散歩です。写真はバナナの木と新線を駆け抜ける区間車。


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いよいよ橋の上を歩きます。大正時代のものが残っているだけでも凄いですが、なによりここが台湾だというのが驚き。保存するのにはとてもお金がかかるから、よっぽどのことがないと残さないはずなのに…。



誰がつくろうが関係なく、優れたものは残す、そういう台湾の人の広い心に心を打たれました。(古いものをどんどん壊してしまう日本はなんなんだ…)



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田豊二を紹介する案内板。


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鉄橋は途中で行き止まり。この先は2005年の台風で流されてしまいました。現在は残っている部分の補強工事をしっかりしたそうなので大丈夫です。


ちなみにレールが4本もあるのが分かると思いますが、これはさまざまな線路幅の車両を通すため。普通の列車(JRと同じ線路幅)だけでなく、もっと小型のサトウキビ運搬用の軽便鉄道の車両も通過できるようにすることで、輸送能力の向上を図ったそうです。


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旧線の横を颯爽と駆け抜ける新線の区間車。
難工事の末、完成したこの鉄橋もバトンタッチです。


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さてさて、ここ九曲堂とこれから向かう旗山にはどのような関係があるのか、ずっと後回しにしてしまいましたが、実は大正時代、この間に軽便鉄道が走っていました。


この赤レンガの建物は当時の缶詰工場。旗山から果物を運び、ここで加工していたそうです。というわけで、今度は軽便鉄道廃線跡をたどって路線バスで旗山に向かいます。



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