今度から高雄から地下鉄に乗って郊外のサトウキビ製糖工場に向かいます。やって来たのは橋頭糖廠駅。駅名で分かると思いますが、この駅のそばに製糖工場がありました。
これから行く製糖工場は単なる工場ではなく、敷地内に工員住宅や労働者クラブ、娯楽施設まである、いわば一つの町でした。
この工場は児玉源太郎の発案のもと、三井財閥によって1900年(明治33年)につくられました。ずいぶんと気合いが入っているだけ合って、当時の台湾における植民地支配の中で重要な位置を占めたそうです。
どこからどう見ても日本の住居ですね。工員住宅という説明になっていますが、おそらく日本本土から来た一流技術者の家族が住んでいたのでしょう。
洋風の宿舎も沢山残っています。はじめは倉庫かと思いました…
社宅事務所はこの工場ができた1901年の建物。
こちらはコロニアル様式の労働者クラブ。こちらも開業当初のものが残っています。
こちらは防空壕。やっぱりこれだけの規模だと米軍の標的になったようです。
工場の中も見学できました。サトウキビの製糖ってこんな大がかりにやっていたのか。
これだけの工場ですから、原料のサトウキビ輸送も相当なものだったようです。
工場の中にはサトウキビ運搬鉄道の引き込み線が残っていました。
この工場が植民地支配の一環でつくられたことは間違いないので、どこかひっかかるものがないといったら完全に嘘になりますが、なかなか面白かったです。戦前の財閥の大工場ってこんなんだったんだ、と知ることができたので。
もっとも製糖業は戦後・台湾でも重要な外貨獲得手段であり、一時期は対外輸出の7割以上を占める重要な主産業でした。橋頭糖廠の施設も手直しされフル稼働していたそうです。
さて、今日はこの辺で宿に戻ることにします。ちなみに蛇足ですが、メトロの橋頭糖廠駅の1Fから台鉄を撮れました。柵がちょっと邪魔でしたけど。
今夜もメトロの美麗島駅で晩ご飯。「アジアで一番美しい地下鉄の駅」だそうです。
えぇ~、タシケントのこと忘れてない?
「高雄の地下鉄」の話をするうえでふれないわけにはいかなそう(無言の視線を感じる)ので日本の一部の層には人気の「高捷少女」(タカメ少女)について軽く。
日本の鉄道会社と同じように(というか日本にならって)高雄メトロでもオタク層の引き込みを図っているよう。
サブカル文化、真似ますか(笑)
日本で本も出てるそうですよ…逆輸入!?
晩ご飯は夜市の裏通りの麵屋に入りました。もう幸せです…。
ああ、記事書いてたら台湾に帰りたくなってきた!
さてさて翌日はいよいよ高雄を離れて台東に向かいます。(つづく)
(前記事:昭和レトロの旧市街が残る旗山へ)
(次記事:1日1往復の旧型客車でいく台湾・南廻線の旅)