【台東の日本人開拓村・鹿野】時代に翻弄された村を訪ねて

南廻線の普快車で高雄から台東にやってきたわけですが、ホテル入りするには時間が早いので、台東の郊外にある日本人の開拓村跡に行きたいと思います。


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台東から莒光号に乗り、やって来たのは2駅先の鹿野駅。


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駅舎内には軽便鉄道時代の台東線の写真が飾られていました。これ昔よく走っていたとかいうガソリンカー?樺太なんかで使われていたのは知っていたけど..


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町というよりは集落程度の規模で、少し歩くとこんな景色になります。
パパイヤが普通に成っている!


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駅から百度地図を頼りに山道を歩くこと30分、茶畑が見えてきたら日本人開拓村・龍田村に到着です。相当しんどい道のりだったので、素直に台東からバスで行くべきだった。


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こちらが鹿野区役場の建物。大正時代のものだそう。喫茶店になっているみたい。


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入植当時(大正5年)の日本人住宅が残っています。


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こちらは昭和3年に愛国婦人会によって造られた台湾初の託児所。


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鹿野尋常小学校の校長先生宅も一見すると日本の木造住宅っぽいですがユーカリで葺いているのが特色。長い間放置されていたようなのでボロボロ。


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つづいてやってきたのは鹿野神社の跡地。今は神社の代わりに関帝廟(関羽を祀った廟)が建っています。廟の前に座っていたおばあちゃんが「見てって」と中へ手招いてくれたので中を覗いてみます。


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廟の一角は民俗資料館になっていました。まさかの戦前の脱穀機とご対面。


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こちらは大正時代の農具。こんなんで耕していたんですね。原野を切り開いて農地を作ったのですから相当苦労したことでしょう。


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日本製の古時計。昔の持ち主は今どうしているでしょうか?


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この地を開墾した日本人は終戦とともに全財産を置いて内地へと引揚ました。
変わって台湾人がこの村の住人となったわけですが、ここが日本人開拓村であったことを伝えようと、神社を再建したそうです。


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鹿野・龍田村は北海道の開拓地と同じように事前の測量で道路を格子状に造り、農地を確定しました。今でも道は十時に組み合わさっており、真っ直ぐに伸びる道が数キロに渡って続いています。


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直線道路を歩いていると「ここは旭川か?」というような気にさせられますが、椰子の木と果実農園をみると「やっぱり台湾だ」と現実に引き戻されます。


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茶の生産は日本時代から盛んでした。ただ雨が多いので、日本みたいなスプリンクラーはいらないみたい。木々も青々としていますね。


日本人から台湾人へ、村も家も農地も持ち主は変わりました。それでも前の住人の残したものが大切に受け継がれているように感じます。


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ゆったりとした時間が流れ、どこか長閑な鹿野駅。今から100年前、希望と不安を抱えてこの駅に降り立った家族がいたはずです。そして70年前、家も農地も全てを捨てて、ここから旅立っていった家族が。時代に翻弄された人々にとって、この駅は特別な意味を持つのでしょう。結局、苦労するのは翻弄させられる側の人間なのです。


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台東駅からバスで市街へ。町中を歩き回って、ちょっと外れたところにある大衆食堂に入りました。唐辛子たっぷりでちょっとピリッときたけれど、麵が噛み応えあっておいしかった。台湾はご飯がおいしいうえ、本当に安い!幸せです…


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