新原ビーチから炎天下の中、延々と10キロ近く歩きます。景色がいいのがせめてもの救いだけど、さすがに人っ子一人歩いていない。
何気ない道もどこか新鮮に感じるのはどうしてでしょうねー。
「沖縄200か661」日産ディーゼル・スペースランナーRM。元東急バスです。
自分も末期は都会の喧噪を離れてシマに逃れたい・・・。
「具志堅売店前」停留所からバスに乗ります。琉球バス82系統は玉泉洞から糸満バスターミナルまで、海岸線沿いを走るローカル路線。やっぱり貸し切り状態でした。
沖縄観光っていたらみんなレンタカー使いますよね。正直バスは本数少ない上、俗に言う「うちなータイム」で全然時間通りに来ないから、仕方ないんだが。
この路線、「平和記念公園」や「ひめゆりの塔」も通るんだけど、古いバスに揺られていると、ウトウトとしてきて記憶があやふや。危うく乗り過ごすところだった。
降りたのは「小波蔵(こはぐら)」停留所。電照菊、はじめて見たー!
「かりゆし58」の「電照菊」って曲、結構好きなのでなんか嬉しい。夜に来たいな。
で、ここから片道5キロ近く歩いて、本島最南端の喜屋武岬(きゃんみさき)に向かいます。サトウキビと電照菊、これぞ沖縄!
なんか近くに琉球の南山のグスクがあるそうなので、どうせだから寄ってみることに。
ってぶらぶら歩き始めたら道が限界を極め始めた。道は未舗装だし、今にもハブが出てきそう。ほんとは糸満市のデマンドバス頼めばこんな苦労しなくていいんですけど。
那覇空港の進入コースなんですね。2分に一機、轟音を立てて飛行機が低空飛行します。
やっとこさ具志川城に到着。ちょっとマイナーな観光地です。
おーコレは凄い。石垣もサンゴなので本土とは全然違うし、それに海に面した城っていうのも珍しい。沖縄はやっぱり海が重要な通商路だったのでしょうね。
美しい積み方です。いったいどうやって固めているんだろう?
こちらの井戸みたいのは逃げ穴だったそう。一説によると海まで繋がっていて、有事の時に小舟で逃げられるようにしてたとか。
喜屋武岬に行くには若干遠回りになったけど、わざわざ立ち寄って良かったです。
次に向かう喜屋武岬ですが、沖縄戦では激戦地になりました。読谷に上陸した米軍は宜野湾や那覇をつぎつぎと落とし南下。日本軍と沖縄県民は糸満まで追い詰められ、最後の最後にたどり着いたのが沖縄本島最南部の喜屋武岬。今は風光明媚でのどかな景色が広がりますが、実はこの地で多くの人が命を落としたのです。
「二度とつまらぬ戦争がおきないように」ということで、鎮魂碑が建てられています。
それにしてもなんて綺麗な海なんだ!
喜屋武岬の灯台。藪の中で行くの大変だった。
遙か彼方に慶良間諸島や渡嘉敷島が見えます。あー行きたいなぁ。
帰りは喜屋武の集落からバスに乗ります。琉球バス107・108系統(糸満市内一周線)がここまで乗り入れますが、本数が少なすぎ!
それにしても手書きのバス停・・・
左側に美しい海が広がります。慶良間諸島も見える!あーいいなー。
で、糸満バスターミナルに到着。わぁー琉球バスのレインボー天国だ!!
ここから那覇バスターミナルまでは89系統で一本。琉球バスと沖縄バスの共同運航です。さすがに主要路線なだけあって、まあまあの乗車率でした。
今日はここまで。翌日からは名護市を中心に、北部のバス路線を回収します。
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