沖縄 路線バスの旅⑧ 眼下に広がる真っ青な海!勝連城へ

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沖縄には4つの大きなバス会社があるのですが、地区によって住み分けがなされているようです。うるま市の具志川では琉球バスと沖バスをたくさん見かけました。


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バスが待てど暮らせど来ない。バス接近情報によると30分以上遅れているとのこと。仕方がないので、ちょっと海辺まで歩いてみました。


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バス待ちにはもってこいの場所にイスが置いてあるのはいいのですが、なんと乗るはずだったバスを逃してしまったw


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「沖縄200か705」三菱ふそうエアロスターの1996年式。元自家用バス。これはバスを逃して正解だったのか??とてつもないエンジン音を立てて走ります。


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なんかTHE沖縄って感じがするんですけど。傘を差して歩くおばあさんと古いバスの組み合わせがなんか気に入った。それにしても古すぎて最高・・・


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やって来たのは世界遺産琉球王国のグスク及び関連遺産群」の1つである勝連城。按司としてこの地方に君臨した阿麻和利のお城です。いったいこの石垣の上にどんな建物が建っていたんでしょう。想像が膨らみます。


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なんかまるでスコットランドとかにありそうなお城です。真っ青な空と芝の緑のコントラスト。なんかお城を見てこんなに感動したのは久しぶり。


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芝の中にぽっかり穴が空いています。ウタミシガーという井戸です。


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てっぺんの一の曲輪(本土では一ノ丸)からは美しい海を一望することができました。


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いやぁー、こんなところで暮らすのはどんな気分だったんでしょうか。


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奥に広がるのは伊計島。橋で架橋されており、うるま市コミュニティバスで行くこともできます。時間があれば行ってみたかったなぁー。


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ほんと、どうしてこんな色になるのでしょうね。


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何気なく立ち寄った勝連城ですが、今回の沖縄旅行で一番気に入った場所になりました。


勝連城から那覇市内へと帰ります。バス停でバスを待っていると、


「バス、いつ来るの~」


おばさんが声をかけてきました。え~っと、時刻表は・・・ 剥がれてる!!
なんか紙が雨風にさらされてビリビリになっており、ぜんぜん読める状態じゃない。


「仕方ないさぁ~、見たって時間通りにゃー来ないからねぇ」


そう言っておばさんはバス停前でかがみ込んで煙草を吸い始めました。


これが本州だったら「えぇ~っと、バスの接近情報によると・・・」と言ってスマホを取り出すと思うのですが。


でも確かに、待ってればいつかはバスが来るわけですから、なにも何駅前の停留所にバスがいるなんて知る必要、ありませんよね。なんか沖縄流の「なんくるないさー」で時間を捉えると、怒ることも焦ることもなくなるし、幸せだと思うんですよね...


ようやく来たバスに乗り込み、席に座ると先ほどのおばさんが「どこ行くの?(ちょっと方言なまり)」


那覇です。那覇で一泊するので」


「あぁ、ナイチャー(内地の人)だね。一人旅?気楽でいいねえ」


昔の勝連のこととか、この辺りの色々なことを教えてくれました。


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せっかくなので途中下車。みんなご存じ、宜野湾市普天間基地へ。嘉数高台公園の展望台に上がると、テレビでおなじみの構図から基地を見ることができます。オスプレイが並んでる。


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嘉数高台公園は沖縄戦の激戦地でした。


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こちらは日本軍のトーチカの跡。


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銃口を向ける穴が生々しいです。


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さてさて那覇に戻りバス活開始。「沖縄22き439 」琉球第一交通(那覇バス)の日野ブルーリボンです。93年に米軍スクールバス用として導入されたもの。おんぼろすぎ!外国人観光客も乗るんだから空港線から外したほうがいいのでは?


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那覇バス「沖縄200か823」90年代、元名古屋市交通局いすゞ・キュービック3扉車。3扉車ですよ!珍しすぎ。


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3扉車は通勤ラッシュに対応するため、前扉から乗車し、うしろの2つの扉から降りれるように開発されたバス。ただ利用者に混乱を引き起こし、すぐに生産がストップされました。そうなることは簡単に分かるような気もするんだけど(笑)


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ちなみに沖縄の路線バス会社で唯一、那覇バスは前乗り後ろ降りです。さすがに3扉車の一番後部の扉は常に閉鎖されているよう。


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ご飯はやっぱり沖縄そば国際通りから奥に3つぐらい路地を入ったところにある沖縄そば屋がおいしかった。滞在中は3回ぐらい行きました(笑)



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