母島北部の廃村と戦争遺構をたずねて

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小笠原諸島4日目。父島に続き母島でも午前3時起きして星空観察。凄い数の星を見ることができましたが、カメラには映りませんね。現地に行った人の特権ということで。


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2度寝して朝5:30起床。集落内を散策します。浜辺にはイソヒヨドリの姿が。初めて見たけどとっても綺麗。おまけに人なつっこいんです。


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月ヶ岡神社の参道。小さなお社があるだけの神社ですが、港を一望できる小高い丘の上にあります。


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境内に陸軍の記念碑がありました。そういえば与論島の神社にもあったな。


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神社から沖港。係留してある漁船は宝石サンゴ漁船だそう。


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再びメインストリート。確かこの橋は天皇陛下の御幸記念で架けた物だったはず。


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ガジュマルの大木をくぐって集落裏手の山を攻略することに。


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めざすは小剣先山。その名の通り切り立った山です。最後の方は岩場の連続で、簡単に登れる山!なんて観光パンフレットに書いてあるのは大嘘(笑)


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ですが山頂からはなかなかの景色なので一見の価値あり。

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クジラも歓迎してくれます。


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案の定、山頂には高射砲の残骸が。そのまま放置されているのが凄いですね。


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集落を上から見下ろすことができます。母島小学校、とっても大きいな。

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つづいて宿に戻って朝食を食べてから、母島北部の戦跡と廃村を訪れてみたいと思います。


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島といっても起伏がだいぶあり、都道の最高地点は280m。海も遙か下にあります。平地がほとんどないので母島の島民がみんな沖村に住んでいるというのも頷ける話。写真はハスベイという名前の海岸。


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ガジュマルの巨木。小笠原のガジュマルは延焼防止のために沖縄から持ち込んだとのことです。すなわちガジュマルの木があるということは、ここにむかし民家があった証。戦前せっかく開墾したのに、今では元のジャングルに戻ってしまっています。


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ヘアピンカーブを上り詰め、新夕日ヶ丘展望台へ。もうこれ登山じゃん。


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ははじま丸が見えます。我々は今日のこの船で父島、そして東京に帰るので乗り遅れないようにしないと…。


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ビッグベイ。凄い景色だな。小笠原の風景は一つ一つが新鮮です。なかなか本土では出会えない景色ばかり。


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メグロに注意の看板。昨日、乳房山で見かけたあの天然記念物です。かわいかったなぁ。


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ロングビーチ。もう雲が夏のような感じ。気温も25度ですからね。


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この亜熱帯な感じ好き。


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沖村から10キロぐらい歩いた先、ジャングルの中に日本軍の施設跡があります。探照灯基地だそう。探照灯というのはサーチライトのこと。すなわちここから敵機を照らそうとしていたようで、その設備が今も残っているのです。


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すぐ近くには六本指地蔵という名前の地蔵堂もあります。昔はこの辺りにも集落があったとのことだそうです。


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ここにも大きなガジュマルがありました。


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探照灯基地と連動して稼働していた砲台がそっくりそのまま残っています。これはなかなかの迫力です。というかなぜ破壊されなかったのかが不思議。密林で分からなかったのか?


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さらに一路北へ。釣り人に人気だという避難港・東港です。いっても特に何にもないけど。戦前はここにクジラの解体工場とか郵便局があったのだとか。向かいの浜辺には今でもかまどの跡が残っているそうです。


続いて戦前栄えた北村集落へ。今は廃村ですが、昔は400人以上の人が住んでいました。


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石垣も道路の道幅も戦前のまま残されているそう。この道の両脇にたくさんの建物が建ち並んでいたなんて信じられない。


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北村小学校の跡地。木造の校舎は残っていませんが、基礎部分は辛うじて分かります。奉安殿とか残っていたら面白いのに。


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それにしてもすごく立派なガジュマルです。


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ここら一帯も集落の跡。いわれなければ全然分かりませんけどね。


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おしまいは北村の港跡。戦前の桟橋が辛うじて原形をとどめています。昔は本土との直行便も出ていたというのに、えらい変わりようです。70年って年月は長いんですね。


帰りは島民に港まで車で送ってもらいました。いよいよ小笠原諸島の旅もおしまい。12:00発の父島行きのフェリーに乗り込みます。

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