秋晴れなのにどこにもいかないのも癪なので、列車とバスを使って丹後半島を一周してきました。京都市内から山陰本線の始発に乗ると福知山で京都丹後鉄道の快速大江山1号に接続します。特急料金なしで「丹後の海」に乗車できるのです。(といっても3セクはもともと運賃が高いのですが…)
車内チャイムがアルプスの牧場なの、国鉄の気動車を彷彿させていいですね。もっとも私は国鉄時代を当然知らないので、アルプスの牧場チャイムを聞いたら、『遙かなる山の呼び声』のラストシーンで高倉健が手錠かけられて網走まで護送されるシーンを思い浮かべてしまいます(笑)
宮津で網野行きに連絡。丹鉄は旅情たっぷりの古い気動車をいまだに走らせているので応援したくなる。(キハ120とほぼ同い年にはとても見えないのだが)
峰山で丹海バスに乗り換えます。そのまま乗れば経ヶ岬まで行きますが、せっかくなので日本海最大級の古墳群があるという竹野バス停で下車することに。
まずは日本海を見下ろす丘の上にある大成古墳群へ。6世紀から7世紀にかけてつくられた横穴式石室墳です。
この丘の下に流れる竹野川は古代の港だったそう。きっとここに眠る豪族は貿易で財を築いたのでしょう。
竹野はいまでは小さな漁港。透明度がすごい。
柱状節理と呼ばれる、マグマの跡を残した岩石が連なっています。
下から見るとすごい迫力!
すぐ近くにある立岩。用明天皇の皇子が鬼を退治して閉じ込めたのだとか。酒呑童子が有名だけど、丹後地方は鬼伝説が多く残されています。おそらく鬼はヤマト王権に刃向かう地方の豪族。もしかしたら大成古墳の主かもしれませんね。
たまたまいた観光客と比べるといかに大きいか分かります。ここは出雲の稲佐の浜の丹後版じゃないでしょうか。歴史に残っていないだけで、「国譲り」があったのでしょう。
竹野神社は第9代開化天皇の妃、竹野媛が天照大神を祀ったのがはじまり。本当にそういう人物が実在したのかは……誰にも分からないのですが、天孫族の神社であることを考えると、やはり丹後征服の時に起源がありそう。
神社の参道から登ることのできる神明古墳は日本海側で最大級の古墳。前方後円墳だから、これもヤマト王権のもの。竹野神社のそばにあるのも分かりやすいが、この辺り一帯の田んぼを発掘すれば古代史を塗り替えるような大発見があるかもしれない。
このあたりは間人(たいざ)という地名です。聖徳太子の母、間人(はしうど)が滞在したときに名を送ったとのこと。伝統的な家並みと海が美しい。
刈り取られる前の稲穂が綺麗。奄美とか沖縄は海とサトウキビとのコントラストが美しいけど、ここも負けていない。
海の色がまるで沖縄。珊瑚がないのにどうしてなんでしょう?
屏風岩を見下ろす展望台に到着。切り立った岩はマグマ貫入の跡だそうです。どうみても京都とは思えない海の色ですね。
崖のはるか下を飛ぶトンビ。魚を狙っているみたいだけど、魚からも丸見えでないかい?
丹海バスと屏風岩。
それではバスに乗って経ヶ岬へ向かいます。
「岬めぐりのバスは走る~」の曲にぴったりです。なんで昭和ど真ん中のフォークソングを知っているかって?父親が酔っ払ってよく歌っていたからですよ(笑)
「岬めぐり」は哀愁漂ういい曲だと思います。特にイントロのリコーダーが良い。
経ヶ岬そばの集落、柚志で下車。さて、ここで後編に続きます。