前回の続き、経ヶ岬のひとつ手前の柚志バス停で下車しました。京都府民が住む北限の集落です。特に用事はないけど、最果て好きな者ですから……
ん?なんか干してある……
なんとイカです!猫とかカモメとかいたら狙われそうだけど、堂々と干しているところをみると大丈夫なんでしょうね。
背後の田んぼはたぶん入会地ですかね。農業と漁業の兼業なのでしょう。
さて、経ヶ岬まであとちょっと歩きます。と思ったら……
「園地閉鎖中」!!
はぁ。。と呆然としていると、ライダーのお兄ちゃんが通りかかりました。
「しゃーないですね」と言って去ってしまったお兄ちゃん。えらいな~、私なんて一瞬、悪魔のささやきが聞えたが(笑)
しかし、イベントはOKで、過疎地域の岬はだめなんですか?よーわからん。まぁ来るなと言うことなんでしょう。仕方ない仕方ない。
北海道に青の池があるなら、ここは青の海!埋没林っぽさあります。
京都府民ながら初めて京都最北端のバス停に到了!!
ペーパーながら免許持っているのですが、絶対にこんな道運転したくないですね。ああ恐ろしい。
窓の下が断崖絶壁ですよ。乗ってるだけでヒヤヒヤ。
これでいて大型車が運用に入っているのだから、運転手さんの運転技術には感服します。
崖の狭間の僅かな空間に家並みが押しくらまんじゅうしている蒲入の集落。なんとここでバスの離合(行き違い)があります。
へ?もう車体の一部が海に浮かんでるのですが。
岸壁スレスレで切り返します。ああ恐ろしい。京都バスの悪名高き狭隘路線、広河原行より怖い、この路線。
↓ここで紹介するためだけにYouTubeにアカウント作りました。本当はブログに直接、動画をアップできるようにしてほしい、はてなさん……
(※ある時からなぜか途中で画面が固まって再生できなくなったので削除しました。元の動画はユーチューブにアップしたからと消してしまった後だった…。こんなことってあるんですね。すみません…)
このバスは有名な伊根の舟屋も通ります。本当は降りるつもりだったのですが、明るいうちに舞鶴まで行きたくなって、今回はパス。
宮津駅に着くと、まさかの国鉄電車!花火大会の時にキハ40が運用に入ることは聞いたことあるけど、丹鉄に115系が来るのは知らなかった。(113系と115系の違い、何度教えられても車両番号見ないことにはさっぱり分からない……)
国鉄宮津駅を彷彿させると思ったけど、よく考えたら、当時は非電化か。青ピーマン(俗称)は京都駅でよく見かけるものの、宮津で見ると新鮮です。
西舞鶴行きに乗車して丹鉄最後の乗り残し区間を回収。この区間はよくポスターになるだけあって、オーシャンビューでなかなか良かった。小浜線よりこっちのほうが断然綺麗。
田園地帯も通るし、景色に富んで楽しい汽車旅。
西舞鶴は昔は「田辺」と呼ばれていて、お城がありました。舞鶴というのは明治になって街のはずれ(今の東舞鶴)に軍港を設けたときに、縁起がいいからと付けた名前。もともとあった街なのに地名を改名されたあげく「西」なんてちょっとかわいそう。
ちなみに中舞鶴という地名もちゃんとあって、国鉄中舞鶴線という支線すらあったのですが、こちらは1972年に廃止になりました。
maizuru.mypl.net
それはそうと、役場前に「山陰新幹線を舞鶴に!」なんて横断幕があったけど、北陸新幹線あきらめたら今度はそんなこと言い出したか。仮に山陰新幹線なんてものができたとしても、新大阪から豊岡まで直結して、外された舞鶴はさらに衰退しそう。
特急あるだけ魚津とか小諸よりマシ。それよりせっかく隣町に新幹線来るんだから「小浜から舞鶴、天橋立、そして城崎温泉」みたいな観光ルート考えればいいのに。
色々な映画のロケ地になったという吉原入江。水路が生活と一体化していた漁師町です。
これは一見の価値あり。浮世絵なんか見ていると、江戸とか大坂の河川や運河もこんな感じだから、こういった風景が全国にあったのだろう。
帰りは舞鶴線。この国鉄電車、実家の近辺では私が小学生の時に淘汰されたのに、大学生になってまたお世話になるとは思わなかった。ただ個人的には113系は末期色の方が好みなので、また山陽本線に乗りたい。秋の乗り放題切符使って下関まで行こうかな。