司馬遼太郎の『街道をゆく』を読んでからずっと憧れていた対馬。路線バスとヒッチハイクと徒歩で島を縦断するというかなり無謀な旅ながら、やっと念願叶って訪問することができました。対馬に行きたかったのは3つの理由から。
まずひとつ目は「対馬の神社めぐりをしたい」。対馬にはアマテル神社、タカミムスビ神社、カミムスビ神社があるなど、どうも日本神話のルーツと深く関わっているらしい。おまけに上代日本で重視された卜占(ぼくせん)が大陸から入ってきて花を開いた場所であり、個人的にこれらの神社を訪ねてみたかった。
ふたつ目は「外国が見たい」。コロナ禍で海外行けないし、せめて釜山が見たい!与那国島(台湾)は遠いし、稚内(サハリン)は雪に閉ざされていそうなので、一番手軽かな。
3つ目は「大陸の交流路に思いを馳せたい」。古代は稲作、仏教、鉄器、馬、青銅器などが流入し、その後は遣唐使船や遣新羅使船が行き交い、中世にはモンゴルがやってきて、そして近代は対馬藩を中心に朝鮮と交流が行われた島。歴史の舞台になり続けたこの離島を歩いて大陸の風を感じたい。
京都からは山陽新幹線ひかりの格安チケットで8300円で博多へ。福岡から対馬への行き方はプロペラ機、ジェットフォイル、フェリー。前2つは値段がフェリーの2倍するので、学生にふさわしく、行き帰りともフェリーを使うことにします。博多から上対馬への定期船は夜22:30発。それまでは北部九州の博物館と史跡めぐりをして時間を潰します。
福岡は八幡のあたり以外全く観光したことがなかったので、まず西鉄で太宰府へ。
社殿からみて左側には「東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花」で有名な飛梅があります。そういえば福岡には有名な料亭「梅の花」がありますね。お高いから店で食べたことないけれど、あそこのシューマイ弁当は大好き(一体何の話だか)。
続いて敷地内にある九州国立博物館へ。太宰府はまあまあ人いたけれど、ここはガラガラ。学生なので350円で入館できました。
九州は「遠の朝廷」とされる太宰府が置かれ、大陸の玄関口として、古来から海を越えて様々な交流がありました。「日本文化の形成をアジア史的観点から捉える」という九州独自の観点から展示が行われ、ほかの地方にはない面白い博物館となっています。
弥生時代、稲作が伝来したときに使われていた土器。縄文土器と大陸の無文土器の影響をうけているそうです。よくみると文様まである。本当は色鮮やかだったんでしょうね。
稲作でつかった杵や臼まで残っているのは衝撃。木なのに腐らなかったのか、保存状態が奇跡的によい。でもこれをみると弥生人は相当小柄ですね。
紀元前5世紀の朝鮮半島製の石剣。装飾ではなく、実戦で使われたものらしい。
紀元前3世紀までなると今度は大陸から青銅器の剣が入ってきて、重宝されたのだとか。
魏志倭人伝には「男子は大小の区別なく、みな顔や体に入墨をする」とありますが、それを裏付ける埴輪がありました。
お墓の副葬品の船型埴輪。死者はこの船に乗って黄泉の国に行くと考えられたようです。時代がだいぶ離れるし、空飛ぶ船ではないけれど、死後の世界観が古代エジプトみたい。
馬は5世紀に大陸から伝わりました。豪族に愛用されたようです。九州北部は馬の甲冑(馬胄)まで見つかっています。釜山の郊外からも瓜二つのものが発見されたとかで、この時代の交流の広さをうかがい知ることができます。
副葬品の三角縁神獣鏡。中国の神仙思想が描かれ、中国語の漢字銘文まであることから、邪馬台国と関係するのではないか、と言われていますが、肝心の中国本土で出土していない。古代史のミステリーのひとつです。
北部九州は畿内とは別に独自の文化が花開いた場所でした。古代豪族の筑紫君磐井の治世に絶頂に達したようです。大和王権が任那に遠征するときに新羅とともに抵抗したことで有名。中央に対する「反乱」といわれていたけれど、継体大王の大和王権はまだこの頃成熟しておらず、勢力争いにすぎなかったとするのが近年の有力説だそうです。
石人(せきじん)はここ九州しかみられません。阿蘇の凝灰岩を利用して、埴輪では不可能な巨大な造形を完成させました。
磐井一族が住んでいただろう家のミニチュア埴輪。
出典:うきは市観光ポータルサイト「珍敷塚古墳」(2021年12月4日最終閲覧)
URL:https://ukihalove.jp/contents/medurashidukakofun/
期間限定で珍敷塚古墳の壁画が展示されていました。高松塚古墳は高句麗の影響を受けているけれど、これは日本独自の装飾古墳です。撮影禁止だったから、うきは市のHPから。古代人のメッセージじゃないけれど、何か感じるものがある。
こちらも期間限定で沖ノ島祭祀遺跡の実物展示が行われていました。「海の正倉院」といわれるほど、古代の財宝が眠っている沖ノ島。普段はレプリカとのことで、ラッキー。
金銅製の馬具だそうです。韓国慶州や中国東北部でも見つかっているってことはツングース系由来かな。はるばる海を越えてきたのでしょう。
古墳時代の女性達が「今日の集まりはどのアクセサリーで行きましょう?」なんて会話していたかと思うと面白いです。
5世紀の金製指輪。いったいどんな人がつけていたのでしょうか。
織機のミニチュア!こんなの残っているんですね。
これ一体何キロするんでしょうか。さすがに装飾品かな?
韓国の沖合から見つかった日本の遣唐使船。中国のお金がたくさん積まれていました。当時の航海は命がけだったよう。
教科書でお馴染みの元寇の碇。すごい!
対馬関連の展示も充実していました。
対馬の宋氏は勝手に「日本国王」の印を使って朝鮮と交易していた模様。印章偽造罪!まさか数百年後に博物館に展示されるとは思ってもみなかっただろうな。ちなみの宋氏は朝鮮国王の印すら偽造したそうです。すごい度胸。
博物館を出て、ふたたび市内へ。町中に元寇土塁がそのまま残っている。
西南学院大学のキャンパス内なんですけれど、昔は浜辺だったんですね。
続いて福岡市立博物館へ。大学生料金に加えて地下鉄の一日乗車券の得点で、わずか100円で入館。じっくりみれば1日過ごせような内容の展示でした。
目的はこれ。漢委奴国王の金印です。むかし、「こんな金印もらっちゃった(57年)」って覚えましたね。
江戸時代に志賀島の農夫が偶然みつけたそうです。取っ手は蛇。漢の時代、冊封国のうち北方系にはラクダの印を、南方系には蛇の印を渡していたそう。
新幹線の乗車券に付いていた得点で福岡タワーに登りました。目の前は金印が見つかった志賀島。なんでこんな辺鄙な場所で見つかったかは謎だそう。
壱岐、対馬行の船が見えます。いよいよ明日は対馬、期待に胸が高鳴ります。