カミムスビ神社と多久頭魂神社とツシマヤマネコ

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魏志倭人伝」に、「土地は山が険しく、深林が多く、道は鳥や鹿の径(みち)のようだ」と書かれた対馬も、上県(かみあがた)の佐護の辺りだけは本州のような水田風景が広がっています。野生のツシマヤマネコも比較的多く見かけるとかで、さてどうだか。


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対馬の伝統的な倉庫。昔は石屋根だったそう。高床式で、本土ではあまり見かけない形状です。もっとも奈良の古い寺の境内にこういうのありますが、関係あるのでしょうか。


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佐護の農家はツシマヤマネコに優しい有機農法で稲作を営んでいます。


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対馬日本海側だし大陸も近いから寒いのかと思えば、暖流の対馬海流のおかげで比較的温かいそう。対馬藩は藩を挙げて二毛作を推進していたみたい。これ何の作物だろう?



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佐護地区湊の集落は対馬第二の河川である佐護川が朝鮮海峡に注ぐ湾口にあります。ここを通る志多留線のバスは早朝の1日1本だから、佐護バス停から7キロほど歩きました。


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ここまで来ると韓国もすぐそこ!


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湊の集落はどこかなつかしい漁村という感じ。


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この、国境も近い集落にカミムスビ神社があります。


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古事記」は、天之御中主神(あめのみなかぬしのかみ)、高御産巣日神(たかみむすひのかみ)、神産巣日神(かみむすひのかみ)という高天原の三柱の神から始まります。


のちに行く豆酘(つつ)にはタカミムスビ神社があるし、対馬は古来から重要な場所だったよう。対馬市が配布している神社ガイドブックには次のように書いてあります。

「豆酘、佐護はそれぞれ、河口の平野部に位置する集落であり、遺跡・由緒ある神社が多く、古代の占いの技術・亀卜(きぼく)を伝承していた、など共通点が多い集落です。豆酘は対九州の、佐護は対朝鮮半島の港として、古くから開けていたことも関係しているようです。」


出典:一般社団法人 対馬観光協会編「対馬神社ガイドブック」(2017年) 7頁


高天原系の神を祀る天孫族が遠い昔、この地に住んでいたことは間違いないでしょう。



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湊にはもうひとつ大きな神社が鎮座しています。多久頭魂神社(タクズダマ)です。対馬独自の神様で、女神カミムスビ男神タカミムスビの子神と考えられています。


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背後の天道山を御神体とし、社殿がなく、磐境(いわさか)という石積みの柱で聖地に結界を張っているそう。奈良の三輪山もそうですけれど、これが古来の聖地の在り方らしい。そういえば沖縄の御嶽(うたき)でもこういうの見た気がする。


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もはや観光地ではなく、地元の人しか知らない聖地という感じ。鳥居の奥にそびえる山が天道山。境内から山へと至る階段があるのですが、これは途中で切れてしまい、お供え物が置いてあります。その先は神様だけが行くことができるのでしょう。



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対馬の伝統的な蜂の巣箱。はじめ見たときは何かと思った。



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山道を歩いて環境省のヤマネコセンターへ。路線バスでアクセスするのはちょっと無理があったかな?1日だけ原付借りてもよかったんだけど。



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ずんぐり尻尾、かわいすぎる!



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イリオモテヤマネコツシマヤマネコは全然違います。西表島のヤマネコは見た目が獣っぽい。確かイノシシも食べちゃうんですよね。その点、対馬のヤマネコはネズミとかヘビぐらいだから、おとなしい?


日本列島が大陸と繋がっていたことの生き証人が対馬と沖縄にいるのは奇跡だなぁ。



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ちょっとまえに琉球大学の調査でカワウソが発見されたニュースがありましたが、知らない間に対馬でもう4匹確認されているらしい!DNA解析を行ったら、なんと朝鮮海峡を泳いで渡ってきたのだとか。たった50キロしか離れていないとはいえ、動物の持つ能力はしばしば人智を越えたものがある。環境省で見守りを継続するそうです。



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ツシマヤマネコとご対面。丸々肥えていてなんか近所の飼い猫にしか見えないぞ。



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ヤマネコセンターから棹崎へ。韓国の巨済島が目と鼻の先に見えるらしいが、う~ん。


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しかし対馬は断崖絶壁の連続ですね。対馬の島民が倭寇として朝鮮半島山東半島で暴れ回ったのも、作物がとれないことと関係しているそうです。


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朝鮮海峡が一番狭まる場所の1つなので、旧海軍の砲台跡があります。


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この岬の近くには、日本が白村江の乱に破れたあと、防人が置かれた山があるそう。「続日本後紀」には承和10年(843年)の記述に興味深いことが書かれています。


新羅国の方角に遙かに鼓声あり。耳を傾けてこれを聴けば、毎日三度響く。常に巳の時をまってその声発動し、黄昏に至る。火もまた見ゆ。」


太鼓が聞えるほど近いのか?と思うけれど、当時の緊張感が伝わってくる記述です。もし対馬で異変があれば、狼煙を上げて、壱岐、九州、瀬戸内海とリレーし、最終的には奈良の飛火野まで連絡しました。このときは結局何ともなかったけれど、いつ来るか分からない敵をただただ待ち続けるのも大変だなぁ。


帰り、ふたたび佐護のバス停まで林道を歩いていると、軽トラのおじさんが止まってくださって、「乗ってく?」と、ご親切に送ってくださいました。島の人はなんて優しいんだ…。いいかげん歩き疲れたうえにこれから8キロはきついなぁと思っていたので、本当に感謝です。おじさんから色々島の事情を伺って、とっても面白かった。


どこの島もそうだけど、対馬も高齢化と若者の流出で大変みたい。


バブルの頃は真珠がすごい勢いで売れて、たくさん稼ぐ家もあったけれど、今はとりわけ産業もなく、観光客に頼っているんだとか。もともと対馬藩自体、徳川家に面倒見てもらったり、朝鮮から扶持米をもらうぐらい難儀したからなぁ。おじさん自身、若い頃は素潜りでアワビをとったり、兼業で農家をやったりと、なんでもやって苦労されたそう。


だけど、対馬はな~んもなかばってん、空気はええし、ここの自然は宝物っちゃ!」対州弁(対馬の方言)でほほ笑むおじさんからは郷土愛を感じた。ほんとその通り。


ふと、沖永良部島で出会ったお兄さんのこと思い出した。


28歳の時に東京で会社辞めて自転車を漕いで鹿児島まで行って、フェリーに飛び乗って故郷の沖永良部にUターン就職したお兄さんの話は前にブログに書いたけど、機会があればそうしたい若者もいるのでは?少なくとも私は対馬旅行から帰りたくないぞ(笑)


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おじさんのおかげで1時間早く佐護バス停に到着。レトロな停留所だなぁ。


今回旅してちょっと思ったのは、対馬の土地の人はすごく余所者に開放的だということ。そりゃ韓国人旅行者がたくさん来たりするのもあるのかもしれないけれど、もっとずっと前から色々な交流があったことも影響していそう。みなさんすごく親切で、こちらも温かい気持ちになります。対馬は自然も文化も新鮮な海の幸も、光るものがあるので、もっと多くの人が訪れるようになればいいのに!


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