1日目は上対馬の西泊というところの民宿にお世話になりました。今は比田勝が上対馬の中心で、韓国行きの国際航路も出ていますが、江戸時代は西泊が中心だったとか。
相変わらず対馬は星がすごいです!
夕飯は、宿のおじさんがオススメする比田勝の「三楽寿し」さんへ。おまかせ8貫をカウンターで食べて1200円なのに、本当に絶品です。穴子もタコもイカも鯛も、口がとろけるような美味しさ。ちょっと場所が分かりずらいですが、地元の人で繁盛していました。そのうえ職人のお兄さんにサービスまでしてもらって、申し訳ないぐらい。
そんなわけで微力ながら宣伝。対馬で寿司を食べるなら「三楽寿し」絶対おすすめです!
早朝、目が覚めてしまったので、散歩がてら集落裏手の権現山に登ることに。
う~ん、韓国は霧の中。やっぱり夜景見に来た方が確実なのかな。
沖ノ島も気象条件によっては見えるらしいが、さて。
午前7時、朝日が昇ります。すると…
なんか韓国の方にきらめくものが。
調べると釜山の海雲台にある101階建の高層ビルだそう。ついに韓国見えた!!
どうやら朝日に照らされて奇跡的に見えたみたいです。
だんだん、他のビルや背後の山々も見え始めました。
コンデジの望遠使わなくても肉眼ではっきりと釜山をみることができます。本当に近いですね…。国際高速船でわずか1時間ちょっとらしい。むかし上対馬の人は映画に行くのも病院に行くのも、みんな日帰りで釜山に行ったのだとか。
沖ノ島は逆光で厳しいかな。帰りの船から見えるらしいから、探してみることにします。
ところが、さっきまで明瞭に見えていた釜山の町も、太陽がもっと昇るにつれ、ふたたび霧の中へ。わずか5分ほどのマジックアワーでした。やっぱり対馬まで来たら韓国見たかったので、わざわざ早朝に山登りして良かったです。
今日はこの山稜を越えて、下対馬へ行きます。昨日の軽トラのおじさんいわく、上対馬と下対馬では採れる魚が違うらしい。ちょっと楽しみ!
民宿は朝食付にしました。写真とるの忘れたけれど、アジの干物おいしかった。
「うちの家は土佐の出なんですよ~」と宿のおじさんがいうから、移住したのかと思いきや、江戸時代、先祖が土佐藩士で、朝鮮だか中国だかに渡る途中に対馬に流れ着き、そのまま宋氏に上対馬を任されたのだとか。
さすが歴史の古い対馬は面白い。「先の大戦」を応仁の乱っていいだす京都人みたい(笑)
いまは人気の無い国際ターミナル。稚内・サハリン航路なき今、外国に日帰りできる日本の国境の町は比田勝と福岡ぐらいじゃないですかね。
宿の人曰く、韓国からの旅行者の多くは免税品目的で来日し、比田勝のマツモトキヨシなんかで爆買いして帰るみたいです。対馬は日本人でもあまりいかないのに、韓国の人も物好きだなと思ったらそういうことみたい。
パスポートにありきたりな「関空」とかじゃなく、「比田勝」出国スタンプもらうの、ちょっと憧れる。韓国は大都会ソウルしか行ったことないので、まったく田舎のイメージが湧かないのですが、ちょっと前に新羅、百済の遺跡や古墳をめぐるマニアックな旅行記を読んで面白そうだったので、古代史好きも重なって興味ある。
韓国人旅行者向けの商店は閑散としていて、結構空きスペースも目立つ。コロナ以前に日韓関係は冷え込んでいるから、対馬はもろに影響を受けているそう。
もっともその間も、本当は日本に来たかったのに、会社の人間関係で行くと言えず、来られなかった韓国人も多いと聞いた、と民宿のおじさん。いくら政府同士が啀み合っているからって、相手の国の観光客を色眼鏡で見る人はほとんどいないはずなんだけど、やっぱり心理的にはお互いまだ遠い国なのかなぁ。もっとも日本と韓国にかかわらず、世界を見渡すと隣国関係ってだいたいどこもギクシャクしている気がしますけど。
うちの大学はコロナ前は韓国人留学生けっこういたし、周りの大学生を見ても草の根レベルは意外と交流あるから、あと数十年ぐらいしたら相互理解も進むんでしょうかね…。
それでは本日も再びバスに乗って、比田勝から南下します。今日の最終目的地は島の最南端なのですが、比田勝からはバスを乗り継いで3時間30分ほど。対馬は本当に広大です。