今回はドナウ川下りの続きから。ウィーン郊外のメルクから船に乗っています。
ヒンターハウス城も騎士団のお城。ウィーン包囲のときにトルコ軍に破壊されたそう。
川になんかロープが架かっている。ロープウェーでしょうか?
と思ったら、シュピッツ村のロープで牽引する渡船らしい。こんなの初めて見た!
途中、要塞教会があったり、
ブドウ畑をながめつつ、
ケーリンガー城の廃墟が見えてくると、
下船するデュルンシュタインという村に到着です。
迷路のように入り組んだ路地を歩いていると中世の世界に誘われるみたい!
家々が綺麗にお花で飾られていて美しいです。
あまり観光客がいないので、のんびりできてお気に入りの村になりました!
デュルンシュタインにはかつて修道院として使われていた14世紀の建物が残っており、せっかくなので見学してみました。
中庭へ続くトンネルを抜けると、そこは祈りの場。
あまり他では見たことのない青い塔が印象的です。残念ながら上には登れませんが、4人の使徒たちの像は間近で見ることができます。
テラスからはドナウ川の悠久の流れを一望!
小さな村なのに立派な礼拝堂です。
さてさて、続いては船から見えたケーリンガー城に登ってみることにします。
30分ぐらいで城壁に到着。想像していたのよりだいぶ荒廃しています。
デュルンシュタインの街が遙か眼下に。思ったよりだいぶ登ってきてしまいました。
イギリスのリチャード1世は第三回十字軍の帰路、オーストリア公のレオポルト5世に捕らわれて、この城に幽閉されました。そのとき偶然、城の下を通りかかった吟遊詩人に助けられたという伝説があります。
ただ、実際のところリチャード1世は高額の身代金を払ってやっと解放されたようです。ちなみにリチャードを幽閉したレオポルトは、
「十字軍の英雄を私怨で捕らえるとはなんたることか!」
とローマ教皇の怒りを買って破門され、あまりいい最期は迎えなかったみたい。
それはともかく、こんな山のてっぺんの城に幽閉されたら生きた心地しないでしょうね。
さてさて、そろそろ夕方なのでウィーンへ帰ろうと思います。
デュルンシュタインは観光シーズンだけ列車が来ます。
レール幅が狭い軽便鉄道なので、だいぶ小さな車両です。
ワイン畑を見つつ、
ドナウ川に沿って列車は走ります。写真左側にも映っていますが、車窓から時々、船から見たのとは別の古城がいくつか見え隠れして、なかなか面白い路線でした。
途中の駅でウィーン行き快速電車に乗り換え。
駅のそばの適当なお店で名物のウィンナーシュニッツェル(仔牛のカツレツ)を注文。中々美味しかったけど、これも写真がない・・・。やっぱり思い出になるから食べた料理は今度から写真とっておきたいです。
というか私の場合、料理写真を上手く撮れるように練習するところからですね(笑)
ウィーンはこれで最後なので、遠回りして旧市街の方を散歩しつつ帰ろうと思います。
ぶらぶら歩きながらホーフブルク(王宮)の前へ。
再びウィーンのトレードマークであるシュテファン大聖堂の前に出ました。
大聖堂の壁に「05」の文字。とくに解説があるわけでもなく、なんだろう?と思い調べてみると、この落書きはオーストリアの歴史と深く関わっているようです。
この落書きが書かれたのは1938年。ヒトラーがウィーンの王宮で、ドイツ第三帝国にオーストリアを併合することを宣言した直後でした。
Oは「Österreich」、ドイツ語でオーストリアの意味。
私はドイツ語はよく分からないですが、「Ö」は「OE」とイコールなので、オーストリアの国名の最初の2文字は「OE」になるそう。そして「E」はアルファベットの5番目の文字であるため、「O5」は「OESTERREICH」–「Austria」を指す秘密の暗号でした。
母国がなくなったウィーンの人々の、ささやかな抵抗の証だったようです。
宿のそばのドンナーの泉は、噴水をドナウ川の4つの支流に見立ててハプスブルク帝国の広大な国土をイメージしてつくられたそう。
街の真ん中に憩いの場があるのいいですね。
そしてようやく宿に到着。ウィーンでの3泊はアパートメントを利用しました。海外で民泊するとまるでその街に住んでいるかのような非現実的な感じがして楽しかったです!
しかも新市街と言っても歴史的建築物なので、中がまた面白い。とくに手動で格子状の扉を開け閉めする20世紀初頭ぐらいのエレベーターがあって、興味そそられました。
さてさて、翌朝は列車でザルツブルクに向かいます。