越後一の宮・弥彦神社と新潟の豪農の館へ

ご無沙汰しております。法科大学院の前期は、それはもう陸に打ち上げられた魚のような気分で、テストが終わるまで生きた心地がしませんでした…。成績は思ったより悪くなかったので、そこはちょっとひと安心だったんですが、大学院って大変ですね。


しばらく落ち着くまで旅はしないからブログ休止するとつい半年前、公言したばかりだろ!とは思うのですが、皆様の旅行記や神社探訪記を読んだりしていると、夏休みの間だけでも少しだけ再開したくなってきてしまいまして…どうもすみません。


心のあまえってやつですかね、夏休みの数日、ちょっとぐらいならと羽を伸ばすつもりで、新潟に住んでいる姉のところに遊びに行ってきました。


京都から新潟へは、伊丹から飛行機か、高速バスが一般的。


ただ、日本海立山連峰を見ながらのんびり行くのもいいなと思って、京都→金沢まで特急サンダーバード、金沢→上越妙高北陸新幹線上越妙高→新潟は特急しらゆき、と、列車で8時間もかけて大移動しました。


北陸新幹線が京都まで延伸すれば、このルートももっと速くなるんでしょうけど…。



特急しらゆき。直江津~柏崎間の車窓に広がる日本海が綺麗でした!夏は群馬県民で溢れかえるという鯨波海水浴場のそばを通ります。



閑散期だったのか?あのオークラを、まさかの一泊5000円で予約できました。しかも飯豊連峰と信濃川に架かる万代橋が正面に見える部屋です。


その日の夜は、姉にお勧めの寿司屋に連れて行ってもらい大満足。新潟は人も優しければご飯も美味しいし、最高ですね。



新潟市内は何度か来ているので、翌日は遠出して、一度は行ってみたかった弥彦山弥彦神社に参拝することに。この趣のある駅舎はJR弥彦線弥彦駅なのですが、全然列車の本数がなくて、予定を組むのに苦労しました。



弥彦神社は越後一の宮。ご祭神である天照大御神の曾孫にあたる伊夜日子大神(いやひこのおおかみ)を、その御子がお祀りしたのが始まり。


万葉集」や「延喜式」にも記述のある、とても歴史の古い神社です。



本殿へと続く参道も、神さびていて心が洗われるようでした。



神社裏手の弥彦山には、伊夜日子大神の御神廟があり、山頂から越後国をお守りしているそう。見るからに昭和っぽいロープウェイに乗って、登ってみました。



山頂駅は弥彦山の稜線にあり、日本海と横たう佐渡島を一望できます。思わず唸ってしまうような絶景です。



ロープウェイで一緒になったおじさんが登るというので、はじめはその気は無かったんだけど、パノラマタワーにも行ってみることに。完全に高度経済成長期の遺産ですね(笑)



このパノラマタワーは回転・移動式展望台。ワイヤーでつり上げて100m上昇します。昭和天皇香淳皇后とご一緒に登られたそうです。



乗り場。なんか秘密基地の入口って感じ。



日本海なのに海が沖縄みたいな色しています。



佐渡ってすぐそこなんだな。



雄大越後平野も一望できました。



「綺麗でしょ、田んぼしかないけど」と係のおじさんが言っていたけど、これぞ日本の原風景。初めて見る景色なのに、とても懐かしい感じがする。



遙か遠くに、山形-秋田県境の鳥海山が見えました!




というわけで、しばしの昭和体験も終了。麓へ降ります。



神社境内にはなぜか比内地鶏



JR弥彦線の接続が悪いので、弥彦村コミュニティバスで隣町の吉田へ。




のどかで気持ちの良い田んぼ道です。



たまたま見つけた地元のそば屋「志のぶ」で昼食。コシがあって、こんな美味しい蕎麦があるのかと感動です。


そのまま新潟に帰るのもつまらないので、途中下車し、新津の少し南の田上町に寄り道。



ちょっと昔の郵便局跡。瓦に郵便マークが彫ってありました。といっても、これはただの通りすがり。



お目当ては越後豪農の館「椿寿荘」。駅から延々と歩いて遠かった…



明治時代、小作人を2000人以上抱えていた家は日本に7つしかなく、うち4つが越後だったそうですが、そのうちの一つ・田巻家の離れ座敷です。



巨大な吉野杉や会津ケヤキを一本丸々使うなど豪華絢爛な大邸宅。


この家は明治30年に構想が始まり、20余年の歳月をかけて完成したわけですが、当主がただ自分のために建てたわけではありません。明治の困窮していた小作人を見かねた当主が、小作人に仕事を与えるため、いわば公共事業のような感じで建設を始めたのです。


内装も、わざと上段の間と普通の広間の段をなくすなど、訪れた客人を和ませるための工夫があちこちに施されていて、ご主人の優しさと心遣いが手に取るように感じられます。



同時に遊び心があるのも面白い。例えば、お庭の枯山水は、石組みを須弥山に見立てて、仏法の川が客人に届くように、との意図で造られているのですが、それに合わせるように、廊下の手すりは船の欄干に見立てて造ってあるのです。



ところで、輪島塗の厠なんてよそで見たことない(笑)



そんな豪農・田巻家の邸宅ですが、戦後の農地解放で地主が農地を没収されてしまうと、屋敷は国鉄に安価で売却されてしまいます。その後は保養所として使われたそうですが、今では田上町が買い取り、大切に保存・管理しているそう。



副館長さんがとても熱心に解説してくださったので面白かった。この方、なんと庭園の造りを調べに京都まで行ってきたそう。地元の文化財がその土地の人に愛されているっていいですね。自分ももっと京都の寺社とか詳しくならなきゃな。


まだ旅行は続くのですが、とりあえず今回はここまで。夏休みはあと1ヶ月あるので、できれば続きも書けたらなと思います。


ともかく今日はお付き合いいただいてありがとうございました。ではでは!