サマルカンドは14世紀頃に中央アジア一帯を支配したティムール帝国の首都があった都市。その当時の遺跡が町のあちこちに点在しています。そんなサマルカンドの町を1日かけてじっくりと見物してみました。
ティムールが、その妃ビビのために1404年に造らせたビビハ二ム・モスク。
1897年の地震で半壊したまま保存されていましたが、近頃修復されました。その大きさは見る者を圧倒します。
19世紀にブハラ=ハンによって造られたハズラティ・ヒズル・モスク。
鮮やかな文様が美しいです
ここからサマルカンドの市内を一望できます。
シャーヒズィンダ廟は直訳すると「生ける王の廟」
ティムール帝国の王族や将軍たちの廟墓群です。装いもとりどりの美しい霊廟が道の両側に並びます。
これがサマルカンド・ブルーの色です。他では見られない!
ティムールが来るずっと前、隊商貿易の時代からサマルカンドは東の長安、西のバグダッドと肩を並べ、世界の三大都市としてその名を世界に知られていました。しかしながら、そのサマルカンドもチンギス=ハンによって「洗城」され、廃墟と化してしまったのでした。
町の北側にあるアフラシャブの丘はチンギス=ハンが徹底的に破壊した古サマルカンドがあった場所です。行ってみたら一面の大雪原。
今ではヤギの放牧場になっている模様。
ティムールの孫のウルグ・ベクは天文学者でした。彼が天体観測をしていた施設の遺構が郊外に残っています。
六分儀をつかったこの大規模な天文台で彼が作った暦は当時の世界トップレベルのものでした。
そしてサマルカンドといえばここが有名!レギスタン広場です
広場の周りには3つのイスラーム神学校(マドラサ)が集まっています
写真を撮っていたら、ウズベク人の若いお兄さんが近づいてきました。
今、英語を勉強し始めたのだけど、話しても良いかと。まだ6ヶ月しか勉強してないそうなのに、とっても上手。IELTSでよいスコアをとって、留学したいのだとか。日本では何を学べるの?と聞いてきて、とても勉強熱心な様子。日本の大学生も負けてられないなぁ。
その場の流れで、一緒に写真を撮ろう、となったのですが、そうしたら周りにいたおじさんまで寄ってきて、自分とも写真を撮ろうと。いやー、芸能人気分(笑)
ウズベキスタンでは普通に現地の人と交流できるから一人旅でも退屈しませんでした。というか一人旅だったからこれだけあちらの人と関われたのかも。「ジャパニーズ?」と近寄ってきて、手を握ってくる人もいました。いくら白タクに騙されたり、商品を半ば強引に買わされても、この国を嫌いにはなれません。
人と見比べると、いかにこのマドラサが大きいかがわかります。
ご飯はレギスタン広場近くのレストランに。入ったら、大学生たちに同じテーブルに座るように促され、一緒にご飯。人々が気さくなサマルカンド、大好きです!
すすめられるままに肉じゃがに似た料理を食べましたが、写真はありません。とってもおいしかったので、写真を食べる前にお腹の中に消えてしまいました。
そしてサマルカンドの中心で圧倒的な存在感を放っているティムール廟。
内部の装飾には金が3kgも使われているとか。
ただここでひとつ疑問が。ティムールの王朝は16世紀に北方からやって来た遊牧民のウズベク人により滅ぼされたのですが、なぜ彼らはこれらのティムール関連の遺跡や施設を残したのでしょうか?征服者はチンギス・ハンのように前の支配者の痕跡を徹底的に破壊するのが普通なのではないかと思いますが。もう少し勉強します・・・
もちろん遺跡も素晴らしかったですが、新市街を歩いていても色々な発見がありました。
民族色を前面に出した集合住宅。
サマルカンドでもずいぶん古そうな自動車が走っています。
イスラームの国では救急車が三日月マークなのです。
これはUAZというバンですかね。
サマルカンドは一度訪れてみたいとずっと思っておりましたが、青いタイルで彩られたモスクや霊廟は想像以上の美しさでした。
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