どこまでも続く砂漠。この果てしない不毛の地に、抑留され、骨を埋めることになった沢山の日本人は一体何を思い、感じていたのだろうか。
ウズベキスタン西部のカガンという町に、日本人墓地がある。第二次世界大戦後にソ連に連行され、強制労働に当たり、現地で亡くなった日本人の墓地だ。
配管がむき出しのソ連的な町のはずれにそれはあった。
白く見えるのは全て塩。この辺はとても過酷な環境だ。夏は40度以上になるという。
墓守の女性二人が案内してくれた。毎日砂を払い、お墓をきれいに掃除してくれているという。ありがたいことである。
キリル文字で記された日本人の名前。名前が分かっているのはごく一部で、分からない遺骨は無名墓地に埋葬されている。
墓地の向こうは死の砂漠。どんな生き物も生きることはできない。こんなところで過酷な労働を強いられた日本人の苦労が忍ばれる。
異国の地で無念のうちに亡くなった若者のことは忘れてはならない。
戦争は決して好ましいものではないが、過去のこととして、あるいはタブーとして遠ざけてしまうのは良くないと思う。それでは国のために戦い、遠い異国の砂漠で骨を埋めたこの尊いたくさんの命はどうなってしまうのか。
この若者達にも大切な家族があったはずだし、やりたいこともあったはずだ。自分とそう年の変わらない若者に思いを馳せると、不意に目頭が熱くなった。
ぼやけて見える視界の中で、灼熱の太陽がゆらゆらと揺れていた。
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