1300年の歴史がある有福温泉に泊まって出雲神話が息づく多鳩神社へ

【山陰の旅②】萩~浜田~有福温泉


1日目は、萩から島根県有福温泉まで130キロほど移動します。



列車の本数がえらく少ない…


しかもこのうち朝夕の列車は高校生の通学用で、島根県の益田まで直通しません。では高速道路が走っているかというとそういうわけでもなく。萩・石見空港は「萩」を冠していますが、益田にあるので車で75分かかるという…。本当に陸の孤島です。


ただ周辺には秋吉台や津和野など、色々な観光地があるので、レンタカーなら効率よく観光できそうです。


前回、コンデジの調子が悪いと書きましたが、列車まで時間があったのでカメラをいじくりまわしていたら、直りました!「昭和家電じゃあるまいし」と思いつつ、思い切ってバンバン叩いたら、異物がとれたようです(笑)




3時間ぶりにやってきた列車です。ところがお客さんは4人だけ…



車窓には、日本海と石見瓦の町並みが広がります。



明治の人はすごいところに線路を通したものですね。


今日泊まる宿はゲストハウス。有福温泉には食事できる場所がないので、自炊することに。益田駅で30分ほど乗り換え時間があったので、地元のスーパー「キヌヤ」にて食材を仕入れました。調味料は一通りあるというので、島根県産オンリーで買いました。


お刺身も買いたかったけど、宿まで4時間以上かかるので断念…。



乗り換えた列車の終点である浜田で下車。先ほど益田で買ったカマボコが要冷蔵だったことに気づき、あわててコンビニで氷を購入。その後、有福温泉行のバスまで2時間あるのでどこか散策しようと思ったけれども、駅前にはお店も見るものも何もない…。中心街は駅からだいぶ離れているようです。



ちょっと考えて、お隣の下府(しもこう)駅まで列車で移動し、この後乗るバスの路線沿いに歩くことにしました。少しでもバス代を浮かすため…。



どうやら浜田から広島まで、戦前、戦後と2度にわたり、広浜鉄道今福線という鉄道路線が計画されていたそう。トンネルや橋梁が完成してあとは線路を引くだけという状態になって、1回目は戦争で、2回目は国鉄の赤字で断念したみたいです。



堤やトンネルの後もありました。彼岸花がどこか寂しげです。

ちなみに鉄道に代わって今は高規格の浜田自動車道が完成し、広島と浜田がわずか2時間ほどで行き来できます。



こちらは線路の建設中に見つかった石見の国府跡だそうです。



行けるところまで行って陽が落ちかけたので、バスに乗車。



お寺で演劇やるなんて面白いですね。中から太鼓の音がドンドンと聞こえてきました。




有福温泉に着くころにはすっかり夕闇につつまれてしまいました。提灯が幻想的です。


お世話になった宿は、オープンしたてのゲストハウス「ロイノハコ」。


有福温泉では最安なのですが、ゲストハウスにしてはだいぶ高め、外湯券つきで1泊5500円でした。いつも2000円から4000円の枠内で旅行しているので、少々奮発。



萩をめいいっぱい観光して昼食を抜いたので、おなかはペコペコ。外湯に行く前に自炊することにします。ところが…


調味料は一通りあるというのに、塩と砂糖と小麦粉?しかない。事前に教えてもらえれば醤油ぐらい買ってきたのに。仕方がないので、塩で味付け。またナイフもないのにも困りました。あまり自炊は想定していないのでしょう。



・のどぐろの蒲鉾
・山陰名物の赤てん
島根県産しいたけ
・津和野産いんげん
・赤飯

これを料理といっていいのか…?煮て、焼いただけ。どこかの博物館で見た弥生時代の食事ってこんな感じだったなぁ(笑)


食事の後は温泉街に繰り出します。




石見神楽の講演をやっていました。お囃子や掛け声が山間の温泉街に木霊します。



温泉街の中でひときわ目立つ御前湯。大正時代の建物です。料金は400円。



歴史ありそうな番台。



午後8時ぐらいに行ったら貸し切りでした。写真は撮らなかったので、島根県観光連盟のページから拝借。アルカリ性単純温泉っていうらしいです。トロトロで温まりました。



翌朝は雨。前日まで晴れの予報だったのに、山陰はコロコロと天気が変わります。



浜田~有福温泉~江津を結ぶ石見交通有福線は1日に5本しかありません。しかも近く廃止されるとのこと。地方の実情について色々と考えさせられます。



ダイレクトで駅まで行っても列車まで3時間あるため、バスを途中下車。石見国二宮である多鳩神社(たばと)まで軽く山登りをします。



想像以上に山の中にあり、少々怖かった。



ようやっと着いたこの神社、出雲神話に出てくる事代主(コトシロヌシ)のお隠れになった地との伝承があります。一般にはエビス様の名前で知られている神様です。


古事記によれば、高天原にいる天照大神は、葦原の中つ国(とよあしはらなかつのくに)の大国主オオクニヌシ)に国譲りを促し、使者をたびたび送りますがうまくいきません。最終的に剣をもった建御雷神(たけみかづちのかみ)をおもむかせます。


御雷神はまず大国主の2人の子に国譲りを迫りました。その子の1人が、多鳩神社の御祭神である事代主。建御雷神に対して事代主は「謹んでこの国を差し上げましょう」と答え、お隠れになりました。


その後、2人の子を屈服させた建御雷神は、出雲大社そばの稲佐の浜大国主に決断をせまり、国譲りは成功します。
antonov-24.hatenablog.com



お隠れになった事代主は、当地で農業、商業や漁業等の神様として熱く信仰されているそう。実に厳かな神社です。



こちらがご本殿。大社造りです。



本殿軒下には八咫烏(やたがらす)を招くためといわれるブランコのような造作物があります。なぜいきなり八咫烏が出てくるのでしょう?そして社名の「鳩」は何を意味するのでしょうか?いろいろと謎がありそうです。



辺りは静寂に包まれて神聖な雰囲気がただよいます。なんだか長居してはいけないような気にさせられました。


神社を出ると、雨がやみ、日差しが見え始めました。



さて、続いては都野津駅から列車に乗り、出雲方面へと向かいます。


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