ヤマタノオロチ伝説の八重垣神社とイザナミ祀る神魂神社

【山陰の旅③】温泉津~松江



2日目の今日は、松江・米子方面へと向かいます。



石見地方ははじめてです。せっかくですから世界遺産の温泉津(ゆのつ)で途中下車し、ふらふら観光することに。石見銀山で産出された銀の積出港となった港町です。


同時に、温泉津はその名の通り、温泉の街でもあります。こちらも有福温泉と同様に、今から1300年以上も昔、奈良時代に開かれた温泉場だそうです。



古くからの「元湯」、明治時代の地震で湧き出した「新湯」、大正時代からの小浜湯と、この狭い街に3つの源泉があるとのこと。



ひときわレトロで目立つ薬師湯さん。こちらは新湯の源泉を使っているそうです。




イカラな建物も、石見瓦と似合います。夜はライトアップされて綺麗だそうですよ。



こちらが1300年の歴史を誇る元湯。薬師湯さんも気になりますが、せっかくですので歴史ある元湯につかりたいと思います。入湯料は480円。



お風呂に入りに行く前に、元湯の裏にある温光寺の源泉を見に行きました。



なんでも、旅の僧侶が、湯船につかっているタヌキを発見して温泉を見つけたのだとか。これが日本むかし話だったら、タヌキに化かされ、道端でスッポンポンになってしまった僧侶、みたいなオチがつきそうです。ちゃんと温泉でよかった(笑)


この温光寺の裏に源泉があって、源泉かけ流しで元湯温泉に直接注がれているそうです。ちなみに裏山にはタヌキの巣との言い伝えのある洞があるのだとか。



こちらがお風呂(温泉津ゆめぐり公式サイトより)


源泉そのままの「熱い湯」(温度50度)と「ぬるい湯」(46度程度)と「初心者用」(40度程度)があります。


「ぬるい湯」(ぬるくない!!)までは余裕でしたが、「熱い湯」は片足つけただけでアッチッチ。地元のおじさんに笑われました(笑)


おじさんは「慣れだよー」と言いますが、この飛び上がるような熱さにどう慣れろというの…。ここまで来て断念するのも悔しいので最終的に肩までつかりましたが、もちろん、すぐギブアップ。


ああ、煮汁になるところだった。


お湯自体は、なかなか芯まで温まって気持ちの良い濁り湯でした。鉄の香りがすごくした。これは近場なら何度でもリピートしたいですね。「ぬるい湯」にね。


ちなみに湯船で一緒になったおじさん、若いころは伝馬船で大海原に繰り出していたようです。すごいな。元湯は地元の人に愛されている感じがして、なかなかよかったです。



温泉の後は軽く集落を散策します。龍御前神社は北前船の船乗りの守り神となった神社。御祭神は大国主命です。この神社では、毎週土曜日に夜神楽の上演が行われます。


「神社で夜神楽の公演」だなんて、大正時代みたい。



旧社殿が山腹にあるとのことで、時間があったので軽く山登り。




「龍御前」の名前はこの岩にあります。確かに龍が大きな口を開けているよう。



石見神楽のヤマタノオロチにそっくりです。



温泉津から列車で出雲国に入ります。山陰本線には「須佐」や「五十猛(いそたける)」、「田儀(多岐)」など神様の名前の駅名がたくさんあります。それぞれ、地名の由来となる伝説があり、人々は神話と共に暮らしているといえるかもしれません。



松江からバスに乗って30分ほど。やってきたのは八重垣神社。ここは有名なヤマタノオロチ伝説ゆかりの地です。


高天原を追放されたスサノオノミコトは、出雲に降り立つと、川の上流から箸が流れてくるのを見て、川上へと向かいます。そこで、櫛名田比売(くしなだひめ)という美しい娘を囲んで泣いている老夫婦に出会います。


老夫婦によると、ヤマタノオロチという怪物が娘をさらってやってくるというのです。そこで、スサノオノミコトヤマタノオロチ退治を請け負います…。といったお話。




御祭神はスサノオノミコト櫛名田比売。出雲ならではの立派なしめ縄です。




ご本殿は大社造り。


この八重垣神社の奥宮は佐久佐女(さくさめ)の森といいまして、スサノオノミコトが姫を隠すため、八重垣を作った場所です。それでは森の中に入っていきたいと思います。



八重垣の中心となった大杉の跡もあります。



うっそうとした森ですが、どこか神秘的です。



こちらの鏡池は、姫が八重垣の中に避難中、お水を飲んだり、容姿を整えるのに使ったとの伝承があります。名前の通り、お水が透き通っていました。

ちなみに本殿そばの湧き水はその場で飲めます。ひんやりして気持ちがよかった。



八重垣神社からお隣の神魂神社まで、30分ほど、「はにわロード」という散策路があります。雰囲気は、奈良の山辺の道そっくりです。



「神魂」とかいて「かもす」と読みます。



本殿に通じる階段。出雲にありながら、どこか伊勢神宮の内宮に似ています。


神社の言い伝えによると、天皇家と並んで歴史ある、出雲国造(千家)の先祖の天穂日命(あめのほひ)が開いたとあります。天穂日命伊勢神宮の御祭神の天照大神の子なので、そんなにおかしい話でもないのかもしれません。


神魂神社をめぐっては、御祭神に関して「謎」があります。


御祭神はイザナミノミコトとなっています。ところが、イザナミの御陵が近くにあるため、平安時代に御祭神が変わったという話がありまして、それ以前については定かなことはわかりません。しかもこの神社、記録では、出雲大社熊野大社でおこなわれている重要な祭祀が、もともと神魂神社で行われていたとあります。古来それほどまでに重視された神社の御祭神はいったいどなたなのでしょうか?


個人的には、本当のご祭神は大国主オオクニヌシ)なのでは?と思っています。


神社を開いた天穂日命大国主に国譲りを迫るよう天照大神から遣わされた神様。国譲りの後は、大国主のための祭祀を任された、と古事記にあるからです。


他にも理由はあります。お酒を醸造することを上代日本語で「醸す(かもす)」といいますが、大国主はお酒の神様としても親しまれているのです。「醸す=神魂」です。


さらに、この辺りの地名は「大庭(おおにわ)」というのですが、古事記には出雲国造の先祖が「大廷(おおにわ)」で大国主を祀っていたとあるんですね。ということは、神魂神社こそ、出雲大社ができる前の社があった場所なのではないでしょうか?



神魂神社の本殿は最古の大社造りでして、天正11年(1583)の建築、なんと国宝に指定されています。小さいながらも太い柱を中心とした立派な大社造りで、脈々と受け継がれてきた出雲の伝統を感じさせます。なんだか神々しいですね。


さて続いては水木しげるロードと、古事記に出てくる黄泉比良坂に向かいます!


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