出雲神話とたたらの旅(津山から奥出雲まで)


10年ぐらいぶりに出雲大社へ参拝してきました。毎度のことながら、なるべく安く行きたいので、ローカル線で岡山県北部を寄り道しながらいきます。




津山から姫新線に乗り、まず降り立ったのは久世駅明治40年開校の遷喬尋常小学校があります。国指定重要文化財で数々の映画のロケでも使われているのだとか。美しい和洋折衷建築です。




今にも元気な子供達の声が聞えてきそうな教室なのですが、とっくの昔に立て替えされて、今では学校としては使われていないようです。




注目はかつての講堂。二重折上げ格天井っていうそうで、とてもこだわった設計になっています。総工費は当時の町の予算の3年分だったのだとか。



中国勝山の町並み(岡山県真庭市

姫新線沿いに一駅歩いて中国勝山へ。中国地方の典型的な田舎といった感じで、昔ながらの町並みが残っています。関西人にとっては蒜山への玄関口ってイメージですかね。




こぢんまりとした町ですが、ここはれっきとした城下町です。武家屋敷も残っています。




こういった路地に迷い込むのもまた楽しい。




姫新線で新見まで出て、そこから特急やくもに乗車。今や懐かしの昔ながらの特急です。まぁ今は旅行者だと思われたくないので、あちこちで写真撮らないようにしているから、これ結構前に撮った写真なんですけどね。明らかに天気違いますよね(笑)




大山は雲の中。すっかり雪をかぶっています。今年は例年に比べて珍しく雪が多かったけれど、アレのせいで客があまりいなかっただろうから、スキー場は大変だったろうな。



こんな感じでこの日は出雲市に投宿。夜、部屋でテレビつけると山陰テレビが
「今日は肉の日!平日にもかかわらず、肉の取り放題に多くの人が集まりました!!」
と放送していて、この世界は感染症と無縁なのかしらんと思ってしまった・・・。


先祖の墓参りで鳥取にはちょくちょく行くから分かるけど、人だかりってあまり見ないからなぁ。こんなこというと鳥取と一緒にするなと出雲人に怒られそう。まぁ大国主の時代は同じ国だったでしょ。ヤマト政権が敷いた律令単位なんかで啀み合わんといて(笑)


稲佐の浜と奉納山公園(島根県出雲市

翌日は一畑電車の始発で出雲へ。まずは稲佐の浜。国譲り神話の舞台です。建御雷神がここで波頭に突き立てた剣の先端に座り、「否か然(さ)か」と大国主神に迫ったとのこと。想像するととても迫力ありますね。




続いてちょっとマイナースポットである奉納山公園へ。稲佐の浜もこの通り見下ろすことができます。




ここの公園の素晴らしいところは、出雲神話をそのまま実感できること。薗の長浜は国引き神話で大地を引き寄せるのに使った綱のあと。そして奥にそびえる三瓶山は綱を結びつけた杭のあとなのです。景色も綺麗ですから、出雲大社に行かれる際は是非。




そしてこの旅の目的である出雲大社に参拝。




やっぱり神社の参拝は朝がすがすがしくていいですね。出雲大社は「二礼二拍手一礼」じゃなく、「二礼四拍手一礼」なんですよね。理由として4つで「しあわせ」とかいわれますが、まぁ実際のところは出雲の独自性を象徴しているのでしょうね。



奥出雲のたたらの里へ(島根県雲南市

さてさて、続いては鉄オタには人気な、西日本一の超ローカル路線、木次線(きすき)に乗車。いや、別に乗り鉄とかやりたいわけじゃないんです…。




木次駅で降りて、一日数本のバスでやって来たのは、広島県境も近い、奥出雲の旧吉田村です。ここではまだ雪が積もっていました。




この山間の静かな村に、備中の吹屋と並ぶような美しい家並みが残っています。




ここに鉄の歴史博物館なるものがあります。ヤマタノオロチ伝説はどうやら「たたら」と関係しているとのことですが(そもそも『日本書紀』による限り、スサノオ朝鮮半島からやってきた製鉄家集団のリーダーと理解すべきだと思う)、古来から奥出雲では製鉄が行われてきました。たたら製鉄自体は改良を重ね、大正時代まで普通に行われていたとのこと。それどころか大陸鉄が入らなくなった戦時中にも行われた記録があるのだとか。




当時の道具とかたたらの歴史について展示されています。中国山地花崗岩ですから、風化した砂鉄がたくさん川に沈んでいます。昔はそれを高温の炉で熱して製鉄していました。




炉の模型。たたら製鉄を行う度に毎回毎回崩すそうですが、これが重労働で、あまりの高温と炎の明るさに、たたら師は歳を行くと失明したみたいです。




高殿という炉を格納する建物は、今でもさらに山を車で進んでいった山中に現存しています。




苦労の末できた鋼。古くは中世の鋼もあります。昔は炉に風を送る技術が未発達で、山の斜面を利用していたのだとか。いまでも、中国山地の奥深くに、たたら場の遺構が見つかるそうです。司馬遼太郎は、三次あたりの中国山地の古墳群は、すべてたたら関連だろうと『街道をゆく』のなかで書いています。




博物館のすぐ近くには、松江藩の有力鉄師、田部家の蔵が残っています。鎌倉時代から続く名家で、島根県知事も輩出しています。そういえば竹下登もこの近くの山奥に生まれたみたいですね。




少し川沿いに歩きます。その昔、砂鉄を採っていた川。綺麗ですね。




村の外れに金屋子神社があります。金屋子神はたたらの神様。女の神様ですが、外見にはこだわらないとかで、麦の穂で髪を結うほどだとか。もっとも嫉妬心は強く、たたら場に女性や赤子が入ってくると、金屋子神は背を向けてしまい、良い鉄ができないそう。




たたら師は製鉄の間、何日も寝ずに泊まり込んで番をしなければいけないから、集中力を失ってはいけない。そういうことだったのでしょう。




民俗学者宮本常一の「庶民の発見」という書籍に出てくる神様でして、個人的には旅の最後に金屋子神社にお参りできてよかった。




この後は松江市内をぶらぶらして過ごしました。松江といったらやっぱり宍道湖。山陰はどこか違う文化があっていいですね。機会があったらまた行きたいものです。