今年の9月はまるまる1ヶ月かけてバックパッカー旅行してきました。
今回の旅行のテーマは『台湾からはじめる列島横断2500キロ』
台湾南部の高雄(カオシュン)から沖縄、奄美群島、九州を通って神戸を目指します。
台湾、沖縄にそれぞれ1週間ずつ、奄美群島に2週間、九州に数日滞在しました。
まずやってきたのは台湾南部の高雄。ここから2500キロの長旅がはじまります。
高雄では2泊して郊外の町まで遠出したり、夜市で食べ歩いたりしました。
つづいて東側まわりで北上。念願だった日本製の旧型客車にも乗ります。
車窓に広がる一面のバナナ畑と青い海。見る物全てが美しく、新鮮でした。
日本時代の木造駅舎が残る平渓線の駅。
建物は日本でも駅舎の中には蒋介石!
台北では定番の龍山寺に行ったり、中正紀念堂を見学したりしました。
さらに西海岸に足を伸ばし新竹へ。古いものと新しいものが交錯する面白い町でした。
続いて旅の舞台は沖縄へ。植生も食文化も台湾そっくりで国境を越えた気になりません。
沖縄では5泊して最南端の喜屋武(きゃん)岬から最北端の国頭村まで、すべて路線バスでめぐりました。真っ青な海とサトウキビの緑のコントラストが見事でした。
独特な琉球王国のグスク。沖縄では石垣もサンゴです。
たまたまバスの終点だったのでたどり着いたビーチ。
基地建設でゆれる名護市辺野古の大浦湾。
ちなみに沖縄では古いバスが沢山走っています。うわさに聞いていた3扉バス(ドアが3つあるバス)を見たときはびっくりしました。
なかでもとりわけ古いのはこちらの日野ナナサンマル。1978年導入です。
この車両は沖縄が日本に復帰した後、右側通行から左側通行に変わったときに大量導入されたもの。沖縄にとってはとても思い入れのあるバスだそうです。
那覇の宿で友人と合流し、フェリーで一路、奄美群島へ。この黒潮ルートは、柳田國男のいう、いわゆる「海の道」。そう思うと、想像が膨らみ、古代のロマンをかき立てます。
奄美群島のフェリー(とりわけ喜界島を経由する船)は貨客船なので、旅客よりも貨物輸送がメインです。本土のような新造船に乗り慣れてから行くとちょっと戸惑うかも。
与論島綺麗すぎました。見たこともない青さです。
夜は星が凄かった…。ちなみに文化圏は完全に沖縄です。
沖永良部島では鍾乳洞に入ったり、岬に行ったりして遊びました。
親切な島民に何度も助けられ、とても温かい気持ちになりました。
喜界島は奄美群島の中でも外れているので、とてものどかな感じでした。古い町並みも残っています。海も美しかったですが、ガジュマルやソテツの大木が圧巻でした。
喜界島からは奄美大島まで日本エアコミューターのプロペラ機に乗りました。人生初です。所要時間はわずか20分。飛んでいる時間は5分ぐらいでは?
奄美では台風で船が欠航し、足止めを食らいました。とはいっても1日以外全部晴れましたが。写真は奄美群島最北端の笠利崎灯台。太平洋と東シナ海の境目です。
長崎の五島と同じく、奄美にも教会が点在しています。こちらは明治時代の木造教会。
本数が少なすぎて回るのに苦労しましたが、どこに行っても美しい景色なので、浜辺で小1時間ぼーっとしているのも悪くありません。
同行者とは奄美大島でお別れ。自分はフェリーで鹿児島へ。
朝日とともに鹿児島湾に入ります。写真は開聞岳。
2時間ぐらい鹿児島見物したあとで再びフェリーへ。一路大隅半島へ向かいます。
大隅半島でも路線バスの旅をします。かつて大隅半島を一周するように走っていた国鉄大隅線の博物館を見たり、特攻隊の資料館に行きました。
地元の人が「末端は廃止になるねー」と諦めムードだったので覚悟していきましたが、思いのほか利用者がいたのでそんなに心配するほどでもない気がします。
今回は末端部分(日南~志布志)を中心に8駅ほど徒歩&列車で駅訪問しました。
ここまで草に埋もれるローカル線は初めて。雰囲気は台湾の平渓線に似ています。
宮崎では県庁に登庁。昭和初期の庁舎が未だに現役で使われています。
宮崎からはフェリーで神戸へ。本当は九州でもっとゆっくりするつもりでしたが、奄美滞在が長引いたのでショートカット。もう雑魚寝には慣れた…
旅のおしまいは神戸の舞子。中国国民党の創設者でもあり、日中の架け橋ともなった孫文の記念館があるからです。台湾からの長旅のゴールとしては最適でした。
せっかくなのでエレベータで明石海峡大橋の橋脚の上まで上がりました。台湾の高雄から2500キロ。たくさんの親切な人に出会い、異文化や美しい自然にふれた1ヶ月でした。
【本編】
・本州編(鹿児島~神戸)