日本時代の駅舎が残る台東線の関山駅へ


別に自分は鉄オタではないので、まったく知らなかったですが、日本にも関山駅ってあるんですね。しかもマニアには有名みたい。台湾では「関」の字は旧漢字体で表すので「關」になります。ここでは区別したいので、台湾式にならって「關山」としますね。


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前日は台東に日没近くに着いたので、朝さらっと観光します。まずは旧台東駅へ。今ではバスターミナルになっています。


プラットホーム建屋をそのまま転用していて凄い!


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車両も放置?展示?されています。銘板をみると東急車輛の文字が。1971年製とのことで昔、台湾で走っていたようです。ガジュマルといい感じで絵になります。


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普通に今にも列車が入線してきそうです。本当に廃駅?


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腕木式信号機


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SLの給水塔と車両整備基地跡。


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これ以外とくに見る物がないので、電車で今晩泊る花蓮に向けて出発します。


乗ったのは区間車(普通電車)。あまり早く花蓮についても仕方が無いので、途中の気に入った駅で降りようとしたのでした。


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台東駅の留置線にDR2700型気動車が留置されていました。こちらは1966年に東急車輌でつくられた車両で、光華号として活躍しました。まさか対面できるとは…


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台東駅を出ると、原野の中を電車は進みます。とんでもなく広い河川を越えると山里駅。台湾一番の秘境駅といわれる駅です。降りてみたかったけれど、なんか本当に何もなさそうなので止めました。自強號も莒光號も通過する駅で降りると後々困りますから。


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嗚呼…我想在這個車站下車…


ちなみに台湾の台東付近には原住民族が多く住んでいるので、車内放送も中国語の他に原住民族の言葉でも行われます。台湾は多民族国家なんですね。とても印象的でした。


もっとも日常生活では中国語が圧倒的に優位ですから、北海道のとあるバス会社がアイヌ語放送しているのと同じような感じなのかも知れません。


※台湾で「先」はよくない意味を持つ文字なので、先住民ではなく原住民と呼んでいるそう。この表記に差別的な意味は含まれていないのだとか。


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電車にゆられながら田んぼの景色を見ていたときのこと。ふと田んぼの中に廃線跡のような畝道を見つけました。これはもしや軽便鉄道廃線跡ではないか?


さらに百度地図で見ると、次の關山駅には「日式火車站」(日本時代の駅)があるとのこと。というわけで降りることに。


ちなみに地球の歩き方にすら載っていない場所なので、何があるかは本当に行ってみるまで分からない!こういう思いつきの旅行は一人旅の特権。



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乗ってきた区間車が花蓮へと走り去っていきます。この建物が日本統治時代の木造駅舎。


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自転車貸し出し所になっていました。駅舎自体は大正時代のものだとか。


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美麗的車站…この色合いがいいですね。なんか北欧っぽいけど。


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駅舎全体像。


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駅の前には古い日本の木造家屋がありました。なんと駅長さんの家だったとのこと。おそらくこうした駅長の家は日本各地にもあったのだろうけれど、自分の知る限り大正時代の駅長さんの家なんて日本には残っていません。


全く関係ないけれど、プーシキンの『駅長』っていう小説を思い出してしまった。旅人と親し気に会話する駅長さんの姿が思い浮かぶような…


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どうせだから電車から見えた廃線跡に行こうと自転車を借ります。「自転車借りたい!」ってアピールしたら、案外ボディーランゲージでも伝わるもの。


ただ自転車道みたいなものがあって、ここからそれては面倒くさそうなので素直に自転車道を行くことに。というのも通りかかる人がみんな親切に「こっちだよー」と教えてくれるので、もし道を外れてしまったら道に迷ったと思われかねないので。


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椰子の木の並木を颯爽と駆け抜けます。あれ?この曲がる角度の感じ…もしかしてこれも廃線跡だったりする?


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どうやらそのようでした。近くの民家の庭に放置された五分車が!
サトウキビ運搬用の軽便鉄道の機関車です。


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關山にもサトウキビ運搬鉄道があったのですね。しかも民家の庭に放置されているっていうのはどういう経緯で?気になります。


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もしかしてあの家…ああ!木造駅舎!!

なんと民家自体、駅舎を転用したようなつくり…。ちゃんと調べてないので詳しくは分からないですが、どうやらここは昔、駅だったようです。


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線路端でプユマ號の撮影。これ日本が技術提供したやつですね。


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バナナ並木で南国ムード全開のサイクリングロード。


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關山やお隣の池上は台湾の米所です。稲がすくすくと育って綺麗。やっぱり南方だから沖縄や鹿児島みたいに二期作やっているのですかね?


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鶏が放し飼いになっていました。「コケコッコー」ってうるさい。


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ドライフルーツも成っています。ってか、こうやって実がつくもんなの?


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サイクリングロードを走っていると、構造物が道路をまたいでいます。これは廃線跡だ!


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上が新線、下が旧線。どうやら旧線は自転車道に転用されたみたい。


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なんか日本よりも綺麗な田園風景です。木々がもっと青々としているので。


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アンダーパスのところに日治時代の關山駅の様子が描かれていました。やっぱりもともと茶色の木造駅舎だったんだ…


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乗るはずだった列車を逃してしまい、12:01発の莒光号に乗車。「iーPASSカード」持っていると切符買う必要ないからできるからほんと助かります。


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案の定ガラガラ。あわてて列車に乗り込んだので昼飯を食べ損ねました。ただ莒光号ともなると車内販売はないようです。


3時近くになって、お腹ペコペコで花蓮に到着。結局、駅の近くの大衆食堂で混ぜそばと水餃子を食べました。


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あとは花蓮の町散策。こちらは昔の花蓮駅。


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昭和前期に建てられた花蓮監獄。国民党時代にも引き継がれたのだとか。


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ぶらぶら歩いて夜市の方に向かっていると目の前に太平洋が現れました。ここから与那国島までわずか100キロ。ちょっとだけ、沖縄が近づいたような感じがします。


(前記事:時代に翻弄された日本人開拓村を訪ねて)

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