というわけで人生初の鹿児島県は与論島になってしまいました。
なんかしらないけど亀に出迎えられます。
港からちょっと行くと「与論駅」の文字。はい?
はい、与論駅だそうです。琉球新幹線かな??鹿児島中央、那覇、台北みたいな。
ねえ、みんななんでハワイとか行くの?日本ってこんな綺麗なのに・・・
白砂と透き通った海のコントラスト。こんな美しい景色、他で見たことないです。ほんと。みんな行ってほしい。まあ観光地化されていないからいいのもあるんだけど。
もうここから帰りたくない。どうして・・・今まで見てきた海は何だったの??
この景色の中で釣りをしてるおっちゃん、羨ましい!
島の外周道路をトラクターが駆け抜けます。これぞ島の日常って言った風景で好き。
牛もたくさんいました。みんなのびのびしています。
島の中心部。島唯一の信号機です。ちなみにこの日は敬老の日で軒先には日本国旗が!むかしは本土の方も祝日には国旗を出すのが慣行だったんですけどね。やっぱり昔アメリカ領にされただけあって日本への帰属意識が強いようです。
信号機交差点なんて京都にはいったいいくらあるんだ?
自転車を借りて海辺を走ります。うわぁ・・・沖縄よりも断然きれいなんですけど。
島の高台、船引き丘。
辺り一面サトウキビ畑です。主産業は牧畜とサトウキビ、ジャガイモ生産、そして漁業のよう。ほんとこういう島で自給自足したい。
ギリシアのミコノス島と姉妹町関係だそうで、中学校がギリシア神殿風・・・
島一番の高台にある神社にやってきました。もともとは琉球北山のグスクがあったそうです。ここから四方を見渡すことができます。
与論島は文化は完全に琉球で、家屋や言葉も沖縄風なのですが、墓だけは日本風だそうです。琉球は台湾と同じ亀墓ですもんね。民俗学的にもおもしろそう。柳田國男の日本人南方起源論とか思い出した。
やっぱり琉球なんだなー
さすが高台から見下ろすとこの島がサンゴで隆起したことが分かります。ほんと平ら。
神社のそばにあるサザンクロスセンターという文化歴史博物館へ。島言葉完全に意味不明!しかも奄美の島ごとに全然違います。奄美大島で話したバスの運転士さんによると、大島では集落ごとに言葉が全然違うのだとか。
こっちの方角が百合ヶ浜。日本一美しい浜だそうです。
昔はこんな船で航海したんだからすごいですよね。
農具の展示。江戸時代ぐらいの物かとおもったら普通に昭和30年代まで使っていたと聞いて驚き。
こういうツボは琉球から来たのだとか。
与論島の無形文化遺産、十五夜踊りでつかう旗。やっぱり琉球の影響を受けているよう。
ホゼっていう伝統的な祭りの衣装です。民俗学でやりましたが、この棒は男のあそこだそうです。
天皇皇后両陛下(当時)がいらしたときの写真がありました。本当に上皇さまは国民とむきあってられて尊敬します。島のあちこちで御来島の写真が掲げられているのを見ると、島の人々に本当に慕われているのだなと。そりゃ言っちゃなんだけど、ちっちゃなちっちゃな辺境の離島にまで足を運んでくださったら嬉しいですよね。
昔の家屋。台風で飛ばされても大丈夫なようにえらく簡易なものだったそう。やっぱりポリネシア系?
だからわからないって・・・
奄美返還後は与論島と沖縄県国頭村との間に国境線が敷かれました。この島は沖縄返還運動の最前線となったようです。
断食して抗議したのだとか。ほんと日本に帰ってきて良かった。
この高台の上から一気に海辺まで自転車で駆け下ります。この爽快感が溜まらん。
なんかすごい景色。いや見る物すべてがすばらしいのだが。
日本復帰記念碑。ほんと活動された方は命がけだったそうです。
なんかわからんけど牛。この赤い花びらがポイント。
清和天皇の末裔がたどりついた??ぜったい嘘やろ(笑)
それでもなんか神々しい神社です。
つづいて一行は与論島の鍾乳洞へ。入り口ではシーサーか?って感じの猫がいました。
鍾乳洞があるのは島が石灰岩質の珊瑚礁だから。センター地理Bで出ましたよ、この鍾乳洞!ちなみに僕は本番満点でした!って自慢させてください。来年からはセンターなくなってできなくなりますから(笑)
なんかすごない?みんな紙の上だけじゃなくて実際に体験しようや・・・
外は南国のジャングルです。
おまえは世界一幸せな猫だよ。きっと。
つづいて与論民族村へ。イケメンのお兄さんがわざわざ案内してくれました。奥に掛かってるのはゆりかご。手前のは携帯用の枕だそう。あと貝は遠くにいる村人と連絡を取るのに使っていたそうです。
あとこの弓矢みたいのはねずみ取り。これじゃねずみもたまんないな。
パパイヤがなってる!
家屋は昔はほとんどが琉球風で、屋根にはシーサーがのっていたそうなのですが、沖縄との間に国境がひかれてしまい職人が沖縄から来れなくなってしまったので、いまでは伝統家屋がほぼ残っていないそうです。もったいない・・・。
さきほどのジオラマにあった伝統家屋。これなら台風で飛ばされてもほんとうに簡単に立て直しやすそう。台風に立ち向かうと言うよりは共存しているんですね。台風は大変だけれど、こなければこないでサトウキビが枯れてしまうのでそれも問題だそうです。
サトウキビの製糖機械。昔は牛をつないで製糖していたのだとか。古代エジプトみたい。
頼むから来世はこんなところで生まれたい・・・
ここで昼寝とか最高すぎるだろ・・・
というわけで与論民族村でした。すっかり島人の親切になってしまいました。ここで島産のカリントウと味噌とパパイヤ漬を購入。お土産に親戚に配ったら喜ばれた。だって自然な味ですもんね。あー島に帰りたい。
ただ波の音を聞いているだけで癒やされます。
ただ海の色を眺めているだけで癒やされます。
ただただ、これが日常だったら!!
というわけで与論島後編に続きます。素敵な夕日とご飯と星空が待っていたのですが、その話はまた次にお預け。ではでは。
(前へ:沖縄本島からフェリーで与論島へ)
(続き:与論島の夕日と海と日常と)