というわけでほんとヒヤヒヤながら喜界島にたどり着きました。朝は名物の鶏飯からスタート。これめちゃくちゃおいしいんですよ。お茶漬けみたいなものなんですが。
相変わらず海は透き通っています。そりゃ奄美海運のお兄さんが東京から奄美に帰りたくなったのも無理はないな。こんな綺麗なんだもの。
喜界空港で自転車を借りて島を一周します。一直線の道をひたすら漕いでやってきたのはシュガーロード。
まるで北海道のような景色が広がります。
喜界島の集落はハブがいないために石垣が自然のサンゴでできています。奄美の原風景が残っているといわれる由来らしい。
特色の有る喜界バスのバス停。この田舎感がいい!
小野津集落には源為朝伝説が残っています。為朝が琉球に渡ろうとしたときに、島めがけて放った矢の跡から清水が湧き出たとのこと。ほんとかよ。
朝は晴れていたのにだんだん転機が急変してきました。台風が近づいている証拠です。
喜界島最北端。なにこのSOSならぬ石でつくった「キカイ」の文字・・・
サトウキビの中でなにやらごそごそとすごい音がします。なんだなんだと思っているとヤギ!かわいい、ペットにしたい。
拒否されました。
続いて平家の落人が上陸したと伝えられる浜へ。トカラ列島には平島があるし、やっぱりこちらへ逃げてきたのは間違いないようです。
またまたヤギ。どんだけ放し飼いにしているの??
いきなり降り出した雨がすごくなってきたので末吉神社で雨宿りです。ご神石のサンゴの巨石がすごい。
境内の中でゴロゴロしています。
集落の中には日本本土復帰記念碑がありました。
阿伝地区のサンゴ石垣群。
続いて雨の中やって来たのは巨大なガジュマルの木。圧巻です。こういうのは雨の中の方が生命力あふれていていい。
本当に神秘的です。神様が住んでいそう。
パパイヤも自生しています。
こちらは空港裏の掩体壕。太平洋戦争中、喜界島は本土と沖縄との間の中継拠点となりました。これは空襲から飛行機を守るための防空壕です。
鹿ヶ谷の陰謀で流された俊寛がやってきた「喜界が島」とは喜界島ではないかという説があります。実際、丁寧に埋葬された骨壺が出てきたのだとか。まあ一般的には薩摩硫黄島説の方が有力ですけどね。
喜界島はこれにて終了!ご飯を食べて港へと向かいます。ところが・・・
港に行くと船はまさかの条件付き運航。海上時化により場合によっては喜界島を通過(業界用語では抜港というらしい)してそのまま鹿児島へ向かってしまうとのこと。え??そうしたら台風が過ぎ去るまでこの島から出られないの??そして・・・
はい。抜港が決定してしまいました。次の船はまさかの5日後。いったい我々はどうなるのでしょうか。
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