鹿子島から垂水フェリーで鹿屋市へ・航空基地と国鉄大隅線の博物館

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日野ブルーリボンで鹿児島駅へ向かいます。


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薩摩藩の外国使節団の彫刻。さすがは島津のおひざもと鹿児島です。


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大久保利通奄美で散々西郷隆盛に染め上げられてきたので敵地上陸って感じ。


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鉄道趣味はないのでよく分からないけど路面電車も古そう。


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東急バス?って思ってしまうような南国交通です。


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近代建築は好きなので楽しみにしていたのですが、残念ながら南日本銀行は工事中。


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山形屋デパートと南国交通いすゞキュービックの組み合わせが撮れて満足。


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地方の路面電車って乗り方分からないときがあるんですよね。ICカード使えなかったりするし。



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神戸行きのフェリーが出る宮崎まで鉄道で行くのはつまらない。せっかくだから船で大隅半島に渡り、バスで志布志まで横断してから日南線で宮崎に入ることにします。


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というわけで再びのフェリー。


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桜島を横目に鹿児島湾を横断します。迫力あるな~。


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垂水から志布志行きのバスに乗車。せっかくなので途中の鹿屋で下車して町を散策することにしました。


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赤とんぼが飛んでいると言うことはもう秋です。そういえば奄美大島では蝉が鳴いていたのにこっちに来て急に蝉の声が聞えなくなりました。


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やってきたのは航空自衛隊鹿屋航空基地


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鹿屋からは太平洋戦争中、日本で一番多くの特攻機が飛び立ち、たくさんの若者が命を落としました。沖縄戦線の最前線だったわけです。


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特攻兵の遺書は涙なしには見られませんでした。とりわけ、今回の旅行で行った台湾の鹿野村出身の方の手紙を読んだとき、椰子の木と茶畑が広がるあの牧歌的な風景が蘇ってきて、なんともいえない気持ちになりました。


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鹿屋にはその昔、鉄道が走っていました。国鉄大隅線です。


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キハ52でしたっけ?違っていたらスミマセン。鉄道よくわかんない・・・


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国鉄赤字路線を廃線するかどうかを決定するとき100キロを越えたら留保するという暗黙のルールがあったそうなのですが、大隅線は96キロだったのでギリギリだったのだとか。博物館のおじさんに「残っていたらどうだったのでしょうね~」というと「う~ん、やっぱり厳しいんじゃないかな。ただでさえバスに人が乗っていないものね。日南線だって専ら廃止だってうわさだし」とのこと。そうですよね。


ただ人口10万都市で鉄道がないというのも珍しいそうです。


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ちなみに鹿児島→鹿屋ですと大隅線で行くより僕が来たように垂水フェリー+バスの方が速いそう。そりゃ鉄道も無理あるわ。


大隅半島薩摩半島では対立があるらしく、桜島と鹿児島の間に橋を架ければ大隅が発展するのに、薩摩が反対しているとのこと。「むかしはこっちは肝付っていって島津じゃなかったのに、滅ぼされて植民地状態だったんだよ~」とおじさん。鹿児島ってひとくくりにしてはいけないんですね。それにしても奄美も沖縄もそうだったけど、島津は恨み買いすぎ。与論島など公然と「薩摩の植民地でプランテーション化されていました」なんてパンフレットに書いていたし。


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ちなみにその肝付は皇族ゆかりの家柄だったらしく、天皇家の御陵が吾平にあるそう。昔はお召し列車がここまで走ったこともあったのだとか。


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ここらへんマニアにはたまらないんだろうな。


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佐土原ってことは国鉄妻線のもの?


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大隅線は元々私鉄だったそうで、国鉄にするときに改軌したのだとか。手作業で大変そうです。


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僕の世代(20歳)がB寝台とか急行とか知っている最後の世代ですかね~。ブルートレインは何回か乗りましたが。


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チッキって沖縄まで管轄していたんですね。驚き。


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オタクっぽいことしてみましたw


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ごめんなさい!キハ20だったそうです。違いが分からん。誰か教えて…


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ってなわけで鹿屋は終了。続いてはギリギリ鉄道が存続している町、志布志へと向かいます。


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