【大雪の京都ローカルバスの旅】山奥に残る国鉄バスの駅舎も訪ねて


前回の続き、丹波高地の秘境路線バスを求めて雪の中を限界徒歩旅行中です。



茅葺きの立派な家が点在していました。あまり知られていないですが、京都の市内からちょっといけば、このような茅葺き集落がたくさんあります。もっとも最近は丹波高地の美山がそこそこ有名になってきましたが。本当はもっと色々あるんですけどね。



バスの終点である灰屋は、あと山道を1時間ばかり歩いた先にあります。



はじめはこんな道だったのですが、だんだん雪深くなり…



しまいには膝の辺りまで雪が来ました。サラサラの新雪です。気持ちはいいけど寒い…。



もう完全に景色は京都ではありません。昔話に出てくるような世界。



やっとこさ灰屋集落バス停にたどりつきました。終点には地区の避難所となっている木造家屋があります。鍵が置いてあって緊急の時は中に勝手に入って休んでいいようです。寒すぎて今緊急なんだけど…。



今は京北ふるさとバスが走っていますが、昔はこの路線を国鉄バスが担当していました。昔といっても昭和30年代のはなし。当時は丹波高地林業で栄えていましたから、もっと人口も多かったのでしょうね。ちなみになぜ国鉄バスだったかというと、この辺りを通るはずだった未成線が関係しています。



灰屋集落には家が数軒しかありません。完全に秘境です。丹波高地に鉄道を通そうとしていたとは…。国鉄は何を考えていたのだか。



せっかくなのでバス撮りすることに。



まさかのいすゞ大型車!なんで??こんな山里に??

それはともかくとして、結構いい写真とれた。



案の定、お客さんは誰も乗っていません。この折り返しにのって周山まで行きます。



折り返しも貸し切りでした。だからなんで大型車なの??バス好きとしては嬉しいけど。



先ほどちらっと触れましたが、その昔、京都と小浜を鉄道で結ぼうという計画がありました。結局、難工事が予想されたことと、収益が見込めなかったために計画は頓挫。代替手段として国鉄バス(京鶴本線)が京都と小浜を結ぶようになりました。いまでもその名残で京都駅と周山の間でJRバスが走っています。



祖父が持っていた昭和21年(1946年)の国鉄全図。柳ヶ瀬線が北陸本線の正式ルートなのも興味深いですが、これを見ると、ちゃんと京鶴本線のルートも記されています。


ちなみに「鶴」は、経由ルートの京都府北桑田郡鶴ヶ岡村を指します。きっと「京小線」は響きが悪いし、「京浜線」だと京浜工業地帯しか思い浮かばないので、途中の地名を路線名に冠したのでしょう。



駅舎は国鉄バス時代のまま。当時と同じように、今でも「周山駅」と呼ばれているみたい。ここから小浜まで行けたなんていいなぁ~。


これにて丹波高地の雪中行は無事終了。周山駅の待合所で石油ストーブにあたりながら、地元のおじさんとお話しできたのはいい想い出です。


ところで北陸新幹線が小浜ルートで着工するならば、新幹線がこのあたりを通過することになります。そして開業は2046年になるとか・・・。そんなに時間かかるんですか、その頃には日本の人口が1億人を切るとかいわれているのに…。


まぁでも確かに、金沢までならともかく、敦賀まで来るんだったら大阪まで繋がなくてどうするのという賛成意見は一理ある。やるならもっと早く実現すれば良かったのに。そういえば「田中角栄が無理矢理、北陸新幹線を新潟に曲げたから金沢開業が遅れた」ってまことしやかな噂を聞いたことあるけど、本当ですかね(笑)


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