ウィーンからミュンヘン行きの国際特急に乗って3時間ほどでザルツブルクに到着。宿は駅のそばの新市街にとったので、先に荷物を置いて観光です。
ザルツブルクは798年に大司教座が置かれ、歴代司教により統治されてきました。
まずやってきたのはミラベル宮殿。17世紀初頭、司教が愛人を驚かすために設計した庭園です。この司教はすぐ失脚して、写真奥の城に幽閉されてしまいます。司教なのに愛人つくったからバチが当たったんだと思いますが・・・
この庭園は、「サウンド・オブ・ミュージック」で、家庭教師マリアがトラップ家の子供たちとドレミの歌を歌った場所でもあります。それだけ知っていた方が綺麗に見えますね。
個人的には、あの映画の中では雷で怯える子供達を歌を歌って励ますシーンが好き。街の外れに舞台となった邸宅が残っているらしいです。
続いてはその司教が幽閉されたホーエンザルツブルク城へ。教皇と対立する皇帝を裏切ったザルツブルク大司教が、その報復を恐れて築いた城塞です。
そういうわけですから、実際に司教が暮らしていたのはザルツブルクの街中だったので、このお城は戦争のとき以外は基本的にもぬけの殻でした。中に入ってみたけど、とくに何があるわけでもなかったです。
だけど、お城からはザルツブルクの街を見下ろせて景色は最高でした!
城壁の中は穀物貯蔵庫などがあって、過去には3ヶ月にも及ぶ兵糧攻めにも耐えたことがあり、1000年間難攻不落の城として名高いそうです。
確かにこの断崖絶壁の上なら簡単によじ登ることもできないでしょう。
続いては旧市街を歩きます。まずやってきたのはザルツブルク大聖堂。
ザルツブルクと言えばモーツァルトが生誕した音楽の都です!
ザルツブルク音楽祭が幕を開けるのはこの場所から。私はあまり音楽方面の知識は無いのですが、クラシック好きにはたまらないのでしょうね。
大聖堂の向かいにはレジデンツがあり、ここにザルツブルク大司教が暮らしていました。このザルツブルクの中心たる広場で、夏の夕べにはオペラ上演することもあるのだとか。
どこの街に行っても市場を歩くのは楽しいものです・・・
ぶらぶら歩いているとモーツァルト広場に出ました。せっかくなので、モーツァルトの生家に行ってみたいと思います。
こちらがその家。意外と小さなアパートの一部が博物館になっており、彼が生前使ったバイオリンとか楽譜とかが展示してありました。モーツァルトというと「アマデウス」の映画が強烈すぎて、それを思い出してしまうんですけどね。
なぜか真夏なのにイースターエッグのオーナメントを売っているお店を発見。
すごい数ですね・・・。というか右側のとかどれだけ大きいんだ、、
入り組んだ路地裏散歩がなかなか面白いです。
ウィーンと比べたらものすごく小さい田舎街で、歩いて簡単に回れてしまうぐらいの規模ですが、町並みが美しくとても気に入りました!
翌日はさらに西に向かいます。今度はスイス・チューリッヒ行きの国際特急でインスブルックへ。インスブルックはオーストリアのチロル地方の玄関口ですが、列車は途中ドイツ領内を通過します。EUは平和に国境を行き来できていいですね。
おお!ガイドブックにもちらっと出てくる程度だし、あまり期待していなかったのですが、カラフルでとても可愛らしい町並みです。
街の中心部まで行こうと路面電車に乗ったら、系統を間違えてしまったのですが、優しい運転手さんが「運賃はいいよ」と言ってくださいました。感謝、感謝。
イタリアもそうだけど、オーストリアも本当に優しい人ばかりです。
黄金の小屋根は1500年にマクシミリアン1世が自身の結婚を祝って純金で屋根をふかせたもの。マクシミリアン1世は神聖ローマ皇帝として、ハプスブルクの礎を築き上げた人。
ハプスブルク家の領土を東欧やオランダ、スペインといったヨーロッパのみならず、新大陸まで拡大させた彼の戦略とは、ヨーロッパの諸王朝との結婚政策でした。
「戦いは他の者にさせればよい。汝(なんじ)幸あるオーストリアよ、結婚せよ」
という強烈な言葉が残っていますw
女帝マリアテレジアの凱旋門。彼女は息子のレオポルトの結婚をこの地で行い、チロルにおける帝国の力を誇示しようと凱旋門を作りました。
チロル公が暮らしていたというホーフブルク(王宮)。
インスブルック観光はこのぐらいにして、ここから路線バスに乗って、続いてはチロル州の奥深く、アルプスの麓へ向かいます。
やって来たのはシュトゥーバイタールというガイドブックにすら載っていない小さな村。
お世話になるB&Bは、お花いっぱいの可愛らしいチロリアンハウスです!
部屋はガレージを改装したであろう半地下の部屋でしたが、窓を開けると滝が見える!
さてさて、それではここで3泊して、翌日からアルプスの峰を歩いてみたいと思います。