【チェコ共和国②】おとぎの国の路地裏散歩

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乗合タクシーを降りて、まずやって来たのはアール・ヌーボー様式のプラハ市民の館。チェコの国民的音楽家で「モルダウ」を作曲したスメタナの名を冠したホールがあります。


この建物は1918年のチェコスロバキアの独立宣言が行われた場所でもあって、プラハ観光のスタート地点にぴったりです。


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かつての貴族の邸宅が並ぶ通りは今ではほとんどがレストランや土産物屋になっていますが、優雅な佇まいに目を奪われてしまいます。


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続いてやって来たのはプラハの中心たる旧市街広場。

宗教改革ナチスからの解放、プラハの春ソ連の侵攻、そして自由を掴み取ったビロード革命と、何百年に渡ってチェコの歴史を見つめてきた場所です。


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感覚として、ウィーンやブダペストはもっと後、19世紀ぐらいのモダニズム建築の建物が多かったですが、プラハはロマネスクやバロック様式、そしてその混在型など多種多様な意匠の邸宅が多く、ちょっと古めな感じ。


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旧市庁舎は1338年の完成。日本で言うと、足利尊氏征夷大将軍になった年だそうです。いや~、そんな昔の物を今、目の前にしているとは。


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15世紀の仕掛け時計が残っていまして、定刻になるとキリストの12使徒が行進します。



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さてさてお散歩再開。屋台が出ている一角を発見しました。
お祭り好きなので、ちょっと寄り道。


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なんかのフェスティバルをやっているみたいで、楽団がぞくぞくと到着します。


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わぁ、美しいなぁ。うちの大学には民族舞踊研究会という変なサークルがありますが、ぜんぜん着こなしが違いますね。やっぱり民族衣装はそこの人が着なきゃ。


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「写真とっていいですか」と聞いたら快諾してくださいました。本当に綺麗です。
この民族衣装、ハンドメイドだとか。すごい、、



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続いては日本大使館へ。こんな歴史的建築物が公館だなんていいなぁ。ちなみにこの建物、ザルツブルクでも触れた映画「アマデウス」の撮影で使われました。


アマデウス」はモーツァルトの一生を描いた映画ですが、プラハほど昔の町並みが残っている場所はないとのことで、ほとんどがこの町の中でロケされたようです。



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おまわりさんかっこよすぎ!


でも、スリでも見つけようものなら、そのまま馬ごと突進しそうですね(笑)


京都御所では皇宮警察のパトカーがいつも警備しているけど、あれもこんなかんじで騎馬隊にしてくれないかな・・・。絶対観光名物になると思うんだけど。



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スメタナ記念館のところから見たカレル橋が綺麗!


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15世紀完成のゴシック建築の旧市街橋塔。上まで登れるとのことで、中に入ってみました。


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整った赤屋根のこうから空に向かっていくつも突き出した尖塔が印象的です。


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こっちはヴァルダヴァ川とプラハ城。


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続いてカレル橋を渡ります。カレル橋は神聖ローマ皇帝ボヘミア王のカール4世(チェコ語ではカレル)が14世紀に建設を命じたのが始まり。


17世紀頃から、橋の欄干に色々な彫刻が置かれるようになって、今では26体の聖人が並んでいます。その中には日本人にもお馴染みのフランシスコ・ザビエルも!


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カレル橋の城側の終点はマラー・ストランナ橋。ボスニア王家の紋章が刻まれた、これまた歴史的な建築物です。



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プラハ城の正門と背後の新王宮はハプスブルク統治時代の18世紀に建てられたもの。


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この門はもともと凱旋門として単独で建っていたらしいです。確かにそういわれて見れば、そのように見えますね。


イタリアのトリエステでも、ローマ時代の凱旋門を使って建物たてていましたけど、あえて古い物を埋め込むっていう発想、あまり日本で見たことないなぁ。


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プラハ城は広大な敷地にたくさんの建物と中庭があって、方向感覚を失いそうです。


さてさて、次回はこの続きから、お城と旧市街を探索します。この次で、長かった旅行記も最終回です。最後もいつも通り(そこは気合い入れてやろ、と関西人につっこまれそうだけど)、書いていこうと思います。それでは今日もありがとうございました。


ではでは!


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