【チェコ共和国③ 】プラハ城と旧市庁舎の夜景

来週以降は大学卒業間近で予定が目白押しになるから、その前に駆け足投稿することをお許しください。今日でこの旅行記も最後です。


f:id:Antonov-24:20211219140814j:plain:w550
ハンガリーではキリスト教を広めたイシュトバーンが聖人になっているように、チェコでも布教に尽力したヴァーツラフが聖人に列せられています。その亡骸を納めるために建てられたのがこの聖ヴィート大聖堂チェコ人の心のよりどころになっています。



f:id:Antonov-24:20211219140826j:plain:w550
これを造ったのもカレル橋同様に、神聖ローマ皇帝のカール4世。チェコの歴史を語る上では外せない人物です。外観と比べるとシンプルだけど、開放感あっていい。


f:id:Antonov-24:20211219140837j:plain:w550
内部のステンドグラスは、世界的に有名な画家兼デザイナーであるアルフォンス・ミュシャ(1860-1939年)が作成したもの!


写真はないですけど、実はプラハに滞在中、ミュシャの美術館にも行きました。昔の広告のポスター絵とか好きなものですから。日本だとやっぱり竹久夢二が好きかな。


f:id:Antonov-24:20211219141100j:plain:w550
教会の塔の上から。ちょっと分かりづらいけど、カレル橋も見ることができます。


f:id:Antonov-24:20211219141928j:plain:w550
ビロード革命民主化を平和裏に成し遂げたハヴェル大統領がはじめて演説したバルコニー。つい30数年前のことなんですね。まぁ私の生まれる10年以上前のことなんですが。


これを書きながら、どうしても昨今の国際情勢が頭をよぎってしまいます。民主主義を力で破壊することはあってはなりません。悲しみをもう二度と繰り返さないでほしい。


ウクライナと言えばアンドレイ・クルコフの『ペンギンの憂鬱』が面白い。続編は日本語訳が出ていないから、思い切って英語訳取り寄せてしまった思い出。


f:id:Antonov-24:20211219141952j:plain:w550
三十年戦争の発端となったプラハ窓外放出事件はこの場所で起きました。3人ほどこの高さから下に放り出されたのですが、それにしてもよく助かりましたね・・・


f:id:Antonov-24:20220223163044j:plain:w550
「黄色小路」と呼ばれる聖イジー教会裏の路地。その名前はその昔、ルドルフ2世お抱えの錬金術師たちが住んでいたという伝説に基づきます。



f:id:Antonov-24:20211219142102j:plain:w550
カラフルな家々が並ぶ通りの中、22番の建物は第一次世界大戦中、フランツ・カフカが執筆活動を行っていた家。



f:id:Antonov-24:20211219142203j:plain:w550
f:id:Antonov-24:20211219141039j:plain:w550
このあとは再び王宮の正門に戻って、正午の衛兵の交代式を見学。こういうの初めて見ましたけど、やっぱり格好いいです。


f:id:Antonov-24:20211219142150j:plain:w600
続いてはプラハ城のある丘を取り囲むフラッチャニ地区へ。ここらへんは貴族の宮殿が建ち並んでいて、趣あるエリアになっています。


f:id:Antonov-24:20211219142241j:plain:w550
ロレッタ教会はプロテスタントボヘミア地域では珍しいカトリック教会。そうはいってもカトリック教会特有の派手さはあまりなくて、むしろ少しシックですね。


f:id:Antonov-24:20211219142304j:plain:w550
すぐ近くのストラホフ修道院は13万冊もの蔵書がある図書館で知られています。


f:id:Antonov-24:20211219142327j:plain:w550
「この辺りの地区はスウェーデン軍に破壊された」と渡されたパンフレットに書いてあって、あれ、そんなことあったっけ?って思ったら、三十年戦争の時のことなんですね。「応仁の乱が~」の京都と同じで、一体何時のこといっているのやら。



f:id:Antonov-24:20211219142605j:plain:w550
続いてはペトシーン展望台へ。1891年にパリのエッフェル塔を真似て造られたタワーがあります。ひたすら歩いて上りました!


f:id:Antonov-24:20211219142650j:plain:w600
眼下にはプラハ


f:id:Antonov-24:20211219142701j:plain:w600
それからモルダヴァ川と旧市街。いい眺めです。



f:id:Antonov-24:20211219141710j:plain:w550
さてさて、お城のエリアはこのぐらいにして、旧市街地に戻ってきました。


f:id:Antonov-24:20211219141733j:plain:w550
続いては旧市庁舎の中にガイドツアーで入ってみようと思います。


f:id:Antonov-24:20211219141202j:plain:w550
この建物は前にも書いたように、14世紀に完成した物。内部の天井には、当時神聖ローマ帝国を構成していた国々の紋章が描かれています。


f:id:Antonov-24:20211219141239j:plain:w550
前々回、外側から見たキリストの12使徒のからくり時計の裏側です。複雑な仕掛けを内側から見ることができます。


f:id:Antonov-24:20211219141302j:plain:w550
ウィーンほどのエレガントさはないけど、それでも装飾はすごいです。


f:id:Antonov-24:20211219141327j:plain:w550
いくつかホールがありまして今なお公式で使われている部屋は中が改装されていました。

この部屋には向かい合って2枚の絵が飾られていて、その内の1枚はコンスタンツ公会議で火刑にされたカレル大学のフスを描いたもの。宗教改革も大変だったんですね、、



f:id:Antonov-24:20211219141338j:plain:w550
昔の建物が埋まっている。旧市庁舎が増築されながら今のスタイルになった証です。


f:id:Antonov-24:20211219141402j:plain:w550
このツアーでは、旧市庁舎の地下にも行くことが出来ます。


f:id:Antonov-24:20211219141413j:plain:w550
網の目のような通路を抜けると・・・


f:id:Antonov-24:20211219141425j:plain:w550
そこは中世の住宅の中です。この旧市庁舎が出来る前の町は、今より数メートル地下にありました。つまり、今のプラハの町の地下には、昔のプラハが眠っていると言うこと。なんかトロイを見つけたシュリーマンの話を思い起こさせます。


f:id:Antonov-24:20211219141442j:plain:w550
昔の像も見つかっているのだとか。



f:id:Antonov-24:20211219141547j:plain:w600
日暮れを待って、再び旧市庁舎へ。やってきたのは塔の上。うわ~、夜景が綺麗!



f:id:Antonov-24:20211219141625j:plain:w600
f:id:Antonov-24:20211219141659j:plain:w600
旅の最後をこの素敵な町で締めくくることができてよかったです。昔からあまり景色が変っていないんだろうなぁ。ただただ美しい。



f:id:Antonov-24:20211219142714j:plain:w550
f:id:Antonov-24:20211219142726j:plain:w550
旧市街広場の夜景もなかなかいい感じです。最後は広場のテラスで贅沢に食事。天気にも恵まれ、最高の2週間でした。


これにて2ヶ月ぐらいに渡って投稿してきた中欧旅行記はおしまいです。過去の旅行記なのにお付き合いいただき本当にありがとうございます。
(これで未練なく、大学卒業できます・・・。)


本当だったら、それそろ旅慣れてきたし、これからあちこち行こう、というときにコロナ禍になってしまいました。まあ、何かしら予定が狂ったのは皆さん一緒ですね。


まだ時勢的には予断を許さない状況みたいですが、少しでも早く元通りの生活に戻れる日が来るといいなぁ。いや、その日はきっと来ます。だから、すべてが終わったとき、これしたい、あれもしたいというのが一気に吹き出さないように今から考えなきゃ。


(前へ)
antonov-24.hatenablog.com