日南線・末端駅訪問(大隅夏井・福島今町・串間・榎原)と日南線生みの親の豪邸へ

いよいよ台湾から始まる列島横断も終盤。今夜のフェリーで宮崎から神戸へと帰ります。



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ダグリ岬国民宿舎の屋上から大隅夏井と福島高松の間を走る日南線が見えました。草に埋もれすぎ!こんな自然に溶け込んだ線路は見たことないぞw


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まあ撮ろうにも朝は逆光なわけですが、とりあえず海と一緒に撮れました。


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昨晩降り立った大隅夏井駅。ほんと廃線か?という感じ。


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この簡易な駅で1時間半先の列車をひたすら待ちます。


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志布志にもありましたが、種田山頭火の句碑。


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いや~本当に夏って感じです。


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ずっとこうしてホームで待っていても仕方がないし、近所の人に不審な目で見られるのも嫌なので、海辺まで歩いてみることにします。


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やってきたのは夏井番所薩摩藩はご存じのように幕府に隠れて好き勝手やっていたのですが、それを幕府の密偵にバレたら大変なので、関所で厳しく荷物検査をしていました。なんでも馬の荷物を1度全て下ろす必要があったそうで、そのことを「ダグリ」と呼んでいたことからここらあたりの地名がダグリ岬となったのだとか。



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立派な石垣が残っていました。



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まあ正直、ここぐらいしか見るものはなく、再び駅へ。海も2週間奄美や沖縄に滞在した後だからそれほど感動しませんし。


駅周辺をうろうろしていたら「どこ行くの?」とおじさんに心配されました。そりゃそうか。


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この駅、ベンチもあるし、雨風も防げるし、この手のひらサイズのでっかいクモさえいなかったら駅寝できるんですけどね。


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というわけで日南線に乗車。


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案の定、ほぼ貸し切りです。9月末なので18切符オタクもいませんしね。地元の高校生が2,3人とおばあちゃんが1人乗ってるだけ。


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続いては、うってかわって山間部の榎原駅へ。


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昔の駅舎が残っているとのことですが…


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「おつかれさまでした」がいい感じですね。


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国鉄時代の駅名標?も残っています。


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しかしまた…シュロの巨木が南国感をだしてる。


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山の中ではあるものの近くには民家もあり秘境駅ではなさそう。


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滞在時間30分ぐらいで折り返し志布志行きに乗車します。


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次にやって来たのは串間駅串間市の中心駅です。


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串間は鉄道の町と言うことで、鉄道で町おこしをしようと広島電鉄路面電車を譲り受け、観光案内所にしたとのこと。なぜ鉄道の町かというと、日南線生みの親の邸宅があるかららしいですが…。せっかくなので行ってみることに。



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やってきたのは国の重要文化財に指定されている吉松家住宅。市のボランティアの方が中を案内してくださいました。


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入り口に置いてあるのは線路切り替え機。この地域の豪商であった吉松家が国に働きかけて日南線を串間まで開通させたとのことで、この切り替え機はその時に感謝を込めて国鉄から寄贈されたそう。そういえば広島の竹原でもそんな話を聞いたような…。自分の町に鉄道を引くことが明治・大正時代の豪商のステータスだったのか?


ちなみに吉松家は衆議院議員県議会議員も出している地元の名望家だそう。このお屋敷も大正時代に巨額の資金をかけてつくりあげたいわば富の象徴。


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まあこうみると普通の台所なのですが…


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天井を見上げるとトラス構造になっています。日本家屋でこういう造りをした家は少ないのだとか。材木商をやっていただけあって、海外の技術を取り入れたかったみたいです。たしかに他では見たことないかも。


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ガラスも大正時代のものです。当時としては最先端でした。よくみると手作りなので凹凸があって乱反射しています。


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障子の取っ手には十字架があります。吉松家の仕えた高鍋藩秋月家が隠れキリスタンだったためにそれにちなんでこの紋様にしたとの話が伝わっているそうです。


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湯屋にはレンガの煙突があります。レンガも当時は一級品で、とても一般の家で使えるような代物ではなかったみたい。


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旧吉松家住宅玄関の間の板戸絵 。お客さんやご主人はここから入っていたよう。


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大正モダンの洋間もあります。


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こちらはご主人の居室。


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この部屋には親しい人しか招かなかったようです。


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これ何?って感じですが、コンクリート製の湯船だとか。コンクリートも高価だったらしいですよ。なんか時代がたつと贅沢品も贅沢ではなくなってしまうこともあるんだなぁって。


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黒いのは柿の木。黒柿は150年以上経った古木にしかなく、1万本に1本という確率でしか見つからないため、非常に希少価値が高いのだとか。


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ともかく財という財をつぎ込んでつくったのがよく分かる吉松家住宅でした。


宮崎方面行きの日南線までは1時間あったので一駅歩くことにします。目的地は福島今町駅。以前見た「私の街も戦場だった」という太平洋戦争のドキュメンタリー番組でこの駅が登場したため、行ってみたくなったのです。



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猛烈な機銃掃射が襲った善田川。


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当時のガンカメラ映像にも出てくる有田小学校。


大都市だけでなく田舎も激しい戦争の舞台になっていたことには驚きです。いまではのどかな風景が広がりますが、一体こんな田舎を狙ってなんの意味があったのか。


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映像で汽車への機銃掃射が行われた福島今町駅



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駅舎はとっくに建て替えられているので痕跡は残っていません。


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もちろん無人駅。結構がらんどうとしています。


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まあ平和なのはいいことです。


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いよいよ日南線で宮崎へ向かいます。



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油津駅南宮崎行きに乗り換え。いよいよキハ40も乗り納めです。


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え?この先も単行なのかよ…


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小学校まで鉄オタだった影響で頭の中の路線図や特急は当時のままだから「なんでリレーつばめ日豊本線を走ってるの?」と困惑…。「にちりん」とか「きりしま」とかって国鉄車両じゃなかったっけ??


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はい、バスオタの天下、宮崎に到着。この後、名物の6E 架装バスを探しに町をさまよったのですが、その話は宮崎再訪・路線バスの旅とあわせて書こうと思うので、これにて1ヶ月にもわたる「台湾から始める列島横断2500キロ」は終わりにしたいと思います。続きの宮崎~神戸~孫文記念館は旅の概略をご覧下さい。長い間お付き合いありがとうございました。まあ春休みまでの間でたまっている旅行記はまだあるので、しばらくはその消化に努めたいと思います…。


というわけで今後もよろしくお願いします!


(前へ:志布志から日南線の秘境駅・福島高松へ])


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