父島を自転車で南下!ボニンブルーの海に圧倒される小笠原の旅

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東京から南へ遙か1000キロ。24時間の船旅の末に小笠原諸島の父島にやって来ました。この日の気温は3月上旬だというのに25度。


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小笠原村は人口3000人ですが、そのほとんどが父島の大村地区に住んでいます。


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ペリーも捕鯨の基地視察のために来航したそうです。


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一応ここも東京都なので警視庁管轄です。品川ナンバーなのが地味に笑えます。治安よすぎて仕事ないだろうな。宿も鍵なかったし。


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集落裏手の大神山には戦前の軍用トンネルが残っていました。


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ラーメンを食べて腹ごしらえ。いざ自転車で島を南下します。


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レモンの木陰から「おがさわら丸」。父島で3泊滞泊するみたい。



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まずやって来たのは境浦海岸。沖に見える人工物は戦争中に米軍の魚雷によって沈没した濱江丸の残骸。沈没船と透き通った青い海と、なかなか絵になる風景です。



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小笠原諸島は英語でボニーアイランドといいます。昔は帰属を争われたこともあり、一番はじめの住人も欧米系だったのだとか。小笠原の青い海をボニンブルーというのもボニーアイランドに由来するそう。また小笠原の多くの固有種が「ムニン○○」という名前ですが、これも「ボニン」がなまったもの。


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ノヤギの群れ。かわいいですが、小笠原の固有種を食べてしまうためここでは駆除対象。人間が持ち込んだものなのに…。


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境浦海岸のバス停は東京都最東端のバス停なのだとか。バスオタうけ狙わなくていいよ笑


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再び自転車に乗り一路南へ。


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父島2番目の集落、扇浦に到着です。集落といえども家が数軒ある程度だけど。


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なんなんだこの海は…。火山島だから起伏のある岩も美しい…。奄美にはない風景。


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続いて小湊海岸へ。東京都最南端のバス停はガジュマルの下にあります。


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これぞボニンブルーといった感じの小湊海岸。


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小湊海岸なんなの…この綺麗さは。ユートピアとはこのこと。沖縄と違って大陸が遠いからゴミ1つ落ちていないし。正直、小笠原と奄美を知ってしまったら、これからどんな南の島も旅行できなくなりそう。


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小湊海岸から山登りです。それにしてもとんでもない青さだな。海底が見える。


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標高150mの中山峠に到着です。


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とても島とは思えないようなゴツゴツした岩肌の山々です。


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南島の方も見える。だいぶ日が傾いてきました。


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峠から小湊海岸とコぺぺ海岸の白砂を見下ろします。だからなんなんだ、この景色は。


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中山峠から一気に海岸まで登山道を下ります。やってきたのはブタ海岸。


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日本軍のトーチカが残っています。


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本当はここからジョンビーチまで歩くつもりだったけど、想像以上のアップダウンだったのでここで打ち切り。


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再びノヤギの群れと遭遇。角があるし雄ですね。スゴい勢いで斜面を降りていきました。


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再びの中山峠。何度見ても飽きない風景です。


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峠の上にある大砲か高射砲の跡。


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山下りの途中で見つけたホナガソウ。その昔、船乗りが持ち込んだようです。


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ギルバート諸島出身のコぺぺ爺さんが住んでいたために名付けられたコぺぺ海岸。もうこの透明度、一生忘れることはないでしょう。そろそろ日が暮れるので、自転車に乗って来た道を集落まで戻ります。


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サイパン陥落の後、小笠原諸島を米軍本土上陸の防波堤と位置づけた日本軍は、島民を内地に疎開させた後、島全体を要塞化します。扇浦集落裏手の神社には大規模なトーチカが残っていました。


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こちらは軍用隧道の跡。


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小笠原神社は小笠原諸島を発見したという小笠原貞頼を祀った神社。鈴木知事…。


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晩ご飯は島魚の刺身。体力をつけて明日に備えます。翌日は午前中、歩いて集落近辺を散策したあと、レンタカーを使って山登りします。


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