【早春の京丹波】須知小学校と室町時代の寺社仏閣めぐり

最近、暗いニュースばっかりで「コロナ鬱」になる人が増えているのだとか。自分も京都の下宿に籠もりっきりで鬱々してきたので、あまり人と接触しないよう、車を借りて京都北部の廃校や神社をめぐることにしました。


京都縦貫道を走ってやってきたのは丹波IC。ここは山陰道の宿場町、須知への玄関口です。須知の集落の中に木造校舎好き界隈では有名な旧須知小学校があります。


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木造二階建ての大きな校舎は昭和10年の建築。廃校となった今は児童クラブとして使われています。


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校舎は上から見ると漢字の口の字形をしています。弓道場もありました。


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中庭には錆び付いた遊具が。それにしても保存状態がいいです。


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昔懐かしの下駄箱。結構な生徒数だったよう。トラス構造の木造廊下は非常に貴重です。昔は廊下の左側は木の板を張っていたのだろうと推測されます。


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木造2階建吹き抜けの体育館です。これほどの規模の木造建築はあまり見たことがない。


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ちょっと内部を覗いてみました。天井の格子状の梁なんかも見応えあります。


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こちらの平屋部分は教室棟。


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廊下や札なんかも当時のまま保存されています。


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鶏小屋?


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焼却炉と二宮尊徳の像。地方には意外と残っていますね。


続いて車に乗って寺社仏閣めぐりに向かいます。結構な僻地なので、普通に江戸時代より前の住宅や寺社がたくさんあるのが京丹波。ただ全然観光に力を入れていないので、ほとんどその存在を知られていません。その分、京都の市内なんかよりも奥深く、面白いので自分は大好き。内紛に巻き込まれて京都を追われた皇族や公家ゆかりの寺なんかもあって、いわば「裏の日本史」の舞台となってきました。


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最初にやって来たのは九手神社。1029年の創建で、現在の社殿はなんと室町時代、明応7年(1498年)のもの。国指定重要文化財です。


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ご神木も巨大で圧巻。祭神の大山咋命(おおやまくいのみこと)は丹波開拓の始祖。日照り、疫病の守神とのことだそうなので、コロナの収束をお祈りしました。


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ちなみにここはJRバス園福線で行くこともできます。木造の待合所がありました。


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その次に向かったのは下山の雲晴山大福光寺。なななんと、ここは足利尊氏鎌倉時代末期につくらせた本殿と多宝塔が現存しているのです。


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こちらの多宝塔には日本最古の「方丈記」の写本もあるのだとか。装飾がスゴイ…。


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そして大福光寺のすぐそばには江戸時代初期に建てられた「渡辺家住宅」があります。


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すごい茅葺きの豪邸です。現在も私有地。見学も可能です。


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和知駅前の七福堂で名物の栗まんじゅうを買い、それから道の駅「和」へ。京野菜をふんだんに使った天ぷら定食で腹ごしらえ!これでわずか880円というからお得。



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由良川の支流を延々と遡ったところにある下粟野集落にやってきました。ここにある阿上三所神社は1347年(観応元年)創建。


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社殿は映せない(さない)のですが、古い社殿の外側に雪囲いがしてあって必見です。北山杉の木立も美しい。とても雰囲気のいい社です。


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すぐそばには閉校した和知第3小学校があります。


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国指定重要文化財の明隆寺観音堂は下栗野集落を見下ろす丘の上にあります。


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なんとこちらも室町時代後期の創建でお堂は建立された当時のまま。つまり室町時代から変わらずこの姿でここにあるということです。すごい!


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とても落ち着く場所。700年前とあまり村の景色は変わっていないんだろうな。


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お次は南丹市美山町に移動。慶安5年(1652年)の石田家住宅は屋根の茅が苔むしていて趣あり。とっても小さい家でミニチュアみたいです。


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美山に入ると相当古い住宅が目につくようになりました。


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民俗資料館はでコロナでお休み。。。


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美山といえばバスオタには有名な京都交通モノコックバス廃車体。


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そしていよいよ美山かやぶきの里へ。京都在住ながら来るのは初めてです。


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普段なら観光客の軍団が大挙をなして押し寄せているところですが、コロナのために観光客はほぼおらず、ゆったりと観光できました。


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古民家に今も村人が普通に住んでいるからすごいですよね。


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おやつ。


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こんな山奥にも南丹市営バスが走っています。


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最後にやって来たのは常照皇寺という山寺。


antonov-24.hatenablog.com
2月に京北ふるさとバスで門前を通りかかった寺です。


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北朝初代の光厳天皇が開いたお寺。前の唐門は皇族の人専用の門。


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立派なお寺です。修行僧も昔はいたみたいだけど、いまは静閑として趣のあるお寺です。


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紅葉と桜が有名とのことで、再訪が必要に。と、まぁこんな感じで10時間のドライブは終了。