「偽汽車」伝説の山陰本線・船岡駅(近代と民俗学②)

 前回の「いつから日本人は狐に化かされなくなったか」という話の中で、「偽汽車」伝説に触れたわけだが、京都にも「偽汽車」伝説が伝わるところがある。


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その舞台は山陰本線船岡駅。京都から福知山方面に1時間ほど行ったところにある、丹波高地秘境駅だ。『鉄道と旅する身体の近代』という民俗学者の野村 典彦先生の本の中で、偽汽車伝説の舞台として紹介されており、前々から気になっていた。


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この地域に伝わる偽汽車伝説は日露戦争前後のもの。山陰本線の敷設工事中に、狐のたたりにあって、トンネルや鉄橋工事で事故が起きたり、「偽汽車」が走って鉄道運行を妨害したりした。これを沈めるため、この地に稲荷神社を建立した、とのこと。


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それにしても人に会わない...。すごい山里だ。


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トンネル工事中に事故が起きたという諏訪山隧道。ちなみにトンネルは明治時代のまま、赤レンガのものが現役で使われている。


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線路脇の森の中に神社の鳥居がみえる。これがその「稲荷大杉大明神」のもの。


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たたりを恐れた鉄道員伏見稲荷から分社したとのこと。うっそうとした森の中にあり、少々中に立ち入るのが怖い。


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前回の記事の中で、日本人が狐に化かされなくなったのは都市化や農村の衰退と自然との隔絶が原因じゃないかと書いたが、この神社は20世紀初期まで人間が「狐に化かされて」いたことの証である。しかも明治は前近代的な社会と近代の橋渡しの時代。「文明開化の背後で薄れゆく伝統の抵抗」が「狐が汽車に化ける」という、不可解な現象を生じさせたのだろう、という前回書いた説も、あながち間違っていないのかも知れない。


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こちらも明治時代の船岡隧道。時代的には偽汽車が走っていた頃からあることになる。


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山陰本線丹波高地(園部ー綾部)区間には明治期につくられた鉄橋やトンネルがたくさん残っている。この「第二大堰川梁」も土台は明治時代のものではないかと思うが、適当なことを言うと鉄オタに怒られるので、そんな気がする、ということにしておこーっと。


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しかし、ここは今でも、偽汽車が走ったとしても、おかしくないような長閑な風景だ。こういう田舎こそ日本の原風景がのこっているような気がして好き。そもそも民俗学って、ナショナリズムと結びつくところがあるし。


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昔の船岡駅は活気があったらしい。いまじゃ無人駅だし、切符の券売機すらない秘境駅


果たして30年、40年先になっても偽汽車伝説がこの地で語り継がれているだろうか、不安になる。伝承というのは文字に残したりモノとして残すわけではないから、ヒトが大切になってくるわけだが。そんなことを思いながらホームで電車を待った。


まぁ時代は変わるのは仕方のないこと。民俗学というのは、ある意味、日本人の根底にあるものを探そうとする学問。柳田國男だって、文明開化で失われつつある日本の文化を研究しようとしたわけだから、いま、再び伝統が壊れつつある中で、民芸ブームや妖怪ブームが起こっているのもある意味必然なのかも知れない。


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諏訪山隧道を通過して特急がやって来た。小学生の時まで鉄道好きだったけど、こちらも知らない間に色々変わってる。昔は国鉄車両だったのに。


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自分が知っている山陰本線はこんなんだったんだけど。これも歴史の必然か?あ、念のために言っておくが、別に、てっ、てつおたなんかじゃないからね~!


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